『郡上おどり』や清流で名高い岐阜県郡上市。城下町を見下ろす山上に築かれているのが、昭和8年、木造で再建された郡上八幡城です。廃藩置県まで郡上藩の藩庁として機能し、続日本100名城にも選定される名城ですが、実際に、郡上八幡城に天守はあったのかどうか、定かではないのです。
郡上八幡城には天守がなかった可能性が大!

司馬遼太郎も『街道をゆく』のなかで、「日本の山城典型の一つは、長良川上流の郡上八幡城である。そう信じ、この山の上に日本でいちばん美しい山城があるはずだと思いつつ登ったのは十五年ほど前」と記している郡上八幡城。
木造の模擬天守としては日本最古のもので、すでに現在の天守も文化財的な価値があります。
地元でも「再建天守」と記している場合も数多いので、もともと天守があったのだとも思えてきます。
実際に、戦国時代の末期、天正16年(1588年)、稲葉貞通(いなばさだみち)が入城して大改修した際に、天守台を築いていますが、関ヶ原の合戦後に豊後(大分県)・臼杵城に封じられていて、天守は築かれなかった可能性が大なのです。
江戸時代初期の郡上藩の史書とされる『慶隆御一世聞書』には、関ヶ原合戦後に「惣石垣三塀二重之矢倉松ノ丸桜ノ丸等出来」と記されているので、大規模な改修があったことがわかります。

大垣城の国宝天守を模して木造で「再建」

郡上八幡城のホームページには、「昭和8年(1933年)に、未来に伝わる郡上八幡のシンボルとなるよう願いを込めて、木造の模擬天守が再建されました。」とあるので、あくまで再建であることを強調していますが、実際には天守があったという確証はないのです。
美しい野面積みの石垣が残される城跡は、訪れる価値が十分にあり、天守もまさに郡上八幡のシンボルとしてそびえ立ち、被写体としても申し分ありません。
外観などは、当時、現存していた大垣城の天守(江戸時代初期の4重4階の複合式層塔型天守/戦前の国宝天守でしたが昭和20年に空襲で焼失)を模しているので、むしろコンクリートで再建した大垣城の天守よりも価値あるかたちに。
ただし、もし稲葉貞通時代、戦国末期に天守があったとすれば、大垣城的な近世の層塔型ではなく、山城の上には望楼型の建物がそびえていたはずです。
近世には、山城の上にあえて層塔型天守を構築する必要性もなくなているので、『慶隆御一世聞書』に記されているように「二重之矢倉」(2重櫓)で済ませていたのではないでしょうか。
天守台の石垣との形状も不一致なので(もし天守があったならもう少し複雑な構造だったはず)、まさに模擬天守ということになるのです。

| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(18)郡上八幡城|岐阜県 | |
| 名称 | 郡上八幡城/ぐじょうはちまんじょう |
| 所在地 | 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 |
| 電車・バスで | 長良川鉄道郡上八幡駅から岐阜バス郡上白鳥行き、八幡城行きで10分、城下町プラザ下車、徒歩25分 |
| ドライブで | 東海北陸自動車道郡上八幡ICから約2.5km |
| 駐車場 | 20台/無料 |
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