「急がば回れ」は琵琶湖で生まれた諺!?

「急がば回れ」は、危険な近道よりも、少し遠回りでも安全で確実な道を選ぶべきだという諺(ことわざ)です。英語に直すとMake haste slowly、あるいはHaste makes wasteとなり、「急ぐことは無駄を生む」的な感じに。日本ではポピュラーな諺、実は琵琶湖の畔、滋賀県草津市で誕生しています。

危険な小舟による湖上舟運を避けろという戒め

「急がば回れ」の初出とされるのが、「武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」という中世の和歌。

室町時代後期の永正11年(1514年)に衲叟馴窓(のうそうじゅんそう)が編纂した『雲玉和歌抄』(うんぎょくわかしょう)には580首余りの和歌が収録されていますが、平安後期の歌人・源俊頼(みなもとのとしより=革新的な歌を詠むことで知られた歌人)が詠んだものと記されています。

ところが、元和9年(1623年)の『醒睡笑』(せいすいしょう)には、室町時代の連歌師・宗長(そうちょう)の歌と記されています。
宗長が活躍したのも室町時代の後期なので、後世に残る「急がば回れを生み出した人物が、源俊頼なのか、宗長なのかは、知るすべもありません。

和歌に出てくる「やばせの舟」は、矢橋船のこと。
琵琶湖のほとり、矢橋(現・滋賀県草津市)から対岸の大津(大津市)までの間、琵琶湖の湖上を運航した渡し船のこと。
中山道・東海道の街道筋から分かれ、矢橋街道に入り、その終点の矢橋の湊から渡船に乗ると、琵琶湖を短絡して最短ルートで西へと進み、比叡山延暦寺の門前町・坂本や大津・小舟入へと着岸したのです。
坂本から京都へは志賀越え(山中越え)で、北白川に出るというのがー般的なルートだったのです。
大津に出るのがメインとなったのは豊臣政権以降で、大津城が築かれ、大津を中心とした湖上交通が整備されてからのことです。

瀬田の長橋というのは、大津にある有名な瀬田の唐橋(せたのからはし=古来「唐橋を制する者は天下を制す」といわれた交通の要衝)のこと。

比良山系からの吹き下ろしの風にあおられ、波もある琵琶湖の横断よりも、危険や波浪による欠航を避けて遠回りでも地上を行くルートを選ぶべきとの戒(いまし)めです。
理由は、琵琶湖の地形的な制約で、大型の船を運航する湊がなかったため。
大軍の軍事的な移動も、すべて瀬田の唐橋を渡っています。

逆に「瀬田へ回れば三里の回りござれ矢橋の舟にのろ」という歌もあるので、すでに「急がば回れ」が普及して舟運に影響があったので、新たな宣伝文句で対抗したとも推測できます。

それでも、「急がば回れ」の諺はあっても、晴れた穏やかな日には、旅人はこぞって琵琶湖の舟運を利用し、三里の遠回りを避けたそうです。

草津市矢橋、対岸の「びわ湖大津プリンスホテル」が意外に近く感じます(左端の建物)
「急がば回れ」は琵琶湖で生まれた諺!?
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