伊丹廃寺跡

伊丹廃寺跡

兵庫県伊丹市緑ケ丘にある、白鳳時代から鎌倉時代の寺院跡が、伊丹廃寺跡。昭和33年に基壇の一部が発見され、昭和40年にかけて発掘調査が行なわれています。現在は金堂基壇や朱塗りの北門などが復元され、史跡公園として整備されています。

国の史跡に指定される「幻」の古代寺院

奈良の法隆寺と同じ伽藍配置(法隆寺式伽藍配置)で、ほぼ同じ規模で建てられた大寺院ですが、文献の記載がないために名前や歴史は不明の「幻」の寺院です。
塔と金堂が左右に並び、周囲を回廊が巡り、南に中門が配され、金堂の北に講堂、その両側に僧房が続いていました。
瓦と小石を積んだ金堂跡の基壇は東西20m、南北16m、塔跡の基壇は一辺12.7mです。

寛政10年(1798年)刊の『摂津名所図会』(せっつめいしょずえ)に、「霊林寺旧趾」(れいりんじきゅうし)として古い礎石があることが記載されているので、古くから寺院の跡だということはわかっていました。
しかし、礎石は早くに遺跡から持ち出され、周囲の庭石、靴脱ぎ石などに転用されてしまっています。

発掘調査での出土品は、金具類61点、塼仏(せんぶつ=粘土で型を抜き、焼いて作った板状の仏像)4点、軒瓦351点、丸瓦・平瓦239点、道具瓦83点、塼(せん=焼き物で作ったブロック)35点、土器類254点。
銅製の水煙(すいえん)、九輪(くりん)、風鐸(ふうたく)、塔の頂きを飾る相輪部(そうりんぶ)の残欠や塼仏などの出土品は県指定文化財で、伊丹市立博物館に収蔵・展示されています。

発掘調査から白鳳時代(8世紀初頭)の寺院であること、鎌倉時代後期には廃寺になったことがわかっていますが、創建した人物などは不明です(この地域の有力氏族と推測されています)。

伊丹廃寺跡
名称 伊丹廃寺跡/いたみはいじあと
所在地 兵庫県伊丹市緑ケ丘4
関連HP 伊丹市公式ホームページ
電車・バスで JR・阪急伊丹駅から伊丹市営バス山本団地行きで15分、県高前下車、すぐ
ドライブで 中国自動車道中国池田ICから約4.5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 伊丹市社会教育課 TEL:072-784-8090/FAX:072-784-8083
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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