洲本城(三熊山)

洲本城は、洲本市街を北に見下ろす標高125mの三熊山の山頂に築かれた中世の城。室町時代の1526(大永6)年に三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた東西800m、南北600mに及ぶ西日本最大規模の山城。秀吉の淡路攻めで落城し、脇坂安治が天守を築いていますが、関ヶ原の戦い後に廃城に。「続日本100名城」に選定。

洲本市街を見下ろす中世の山城

1581(天正9)年、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の淡路攻めで落城。
秀吉の家臣で賤ヶ岳の七本槍のひとり、脇坂安治が城主となって登り石垣(縦石垣)や天守を造営。

天守の南下に本丸、南東側に南の丸、東の丸と用水池、武者溜まりを、天守の西側に籾倉、西の丸を配し、北側の急斜面には2本の登り石垣を備えています。
使われている石材は三熊山の和泉層群砂岩と礫岩です。

関ヶ原の戦い以後は、姫路城主・池田輝政の三男・池田忠雄が領主になった際に由良城に移って廃城に。

江戸時代に築かれた洲本城(洲本市山手1丁目あたり=下の城)とは異なり、三熊山の山城(上の城)には穴太積(あのうづみ)の石垣や濠などが当時のまま残り国の史跡に指定されています。

本丸の郭を構成する石垣はとくに見事。
本丸に建つ天守は昭和3年に再建された日本最古のコンクリート製模擬天守閣。
模擬天守閣としては日本最古のものですが、現在、館内に立ち入ることはできません。

天守へは三熊山ドライブウェイを利用すれば馬屋郭の駐車場まで到達可能。
また三熊山は、シロミノヤブムラサキなど貴重な暖帯樹の原生林となっています。

なお、洲本市街地に位置する江戸時代の「下の城」の跡地にはかつての洲本城(上の城)に関する資料を展示する洲本市立淡路文化史料館も建っています。

洲本城(三熊山)  Sumoto Castle
名称 洲本城(三熊山)/すもとじょう(みくまやま)
所在地 兵庫県洲本市小路谷
関連HP 洲本市公式ホームページ
電車・バスで 洲本港・洲本バスターミナルから徒歩40分
ドライブで 神戸淡路鳴門自動車道洲本ICから約7.4km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 洲本観光案内所 TEL:0799-25-5820
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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