兵庫県丹波市にある臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)の本山、高源寺(こうげんじ)。山梨県甲州市大和町の栖雲寺(せいうんじ)が東天目と呼ばれるのにに対して、高源寺は西天目。開山時に、中国・天目山より持ち帰ったと伝えらる「天目かえで」の寺として有名な紅葉の名所にもなっています。
丹波市にある西天目と呼ばれる臨済宗の名刹
鎌倉時代の正中2年(1325年)、遠谿祖雄(えんけいそゆう)の開山で、翌年、後醍醐天皇から高源寺という寺号を賜っています。
その後、柏原天皇の御代、永正15年(1518年)に天皇の勅願所となっています。
遠谿祖雄禅師は、山垣城主・足立遠政の曾孫(ひまご)。
出家して、徳治元年(1306年)、元(中国)に渡り、杭州・天目山の中峰明本(ちゅうほうみんぽん)国師のもとで10年ほど修行し、正和5年(1316年)帰国、10年ほど後に霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に寺を開いたと伝えられています。
往時の伽藍は、佐治宿が出雲・但馬・京を結ぶ旧但馬街道の要衝ということもあって天正6年(1578年)、織田信長軍(明智光秀軍)の丹波攻めの戦火で焼失。
寛政11年(1799年)に丹波国柏原藩4代藩主・織田信憑(おだのぶより=織田信長の末裔)の援助もあって越後・南魚沼出身の弘巌玄猊(こうがんげんげい=播州龍谷寺・蒼海宜運の門下)禅師が再興しています。
弘巌玄猊禅師の筆による「丹丘勝処」(たんきゅうしょうしょ)の扁額の掛かる惣門、山門(紫鳳楼)、開運・毘沙門天を祀る三重塔(多宝塔)、庫裡も兼ねた方丈などは織田家の支援を受け、弘巌玄猊禅師の時代に再建されたもの。
仏殿はそれよりも古く享保年間(1716年〜1736年)、天岩明啓(てんがんめいけい)禅師の時代の再建です。
本尊・釈迦如来坐像は、天台宗の僧・恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられ、平安末期から鎌倉時代の作と推測されています。
高源寺 | |
名称 | 高源寺/こうげんじ |
所在地 | 兵庫県丹波市青垣町桧倉514 |
関連HP | 高源寺公式ホームページ |
ドライブで | 北近畿豊岡自動車道青垣ICから約5km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 高源寺 TEL:0795-87-5081 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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