姫路城・塩櫓

中世、近世に築かれた日本の城にとって、籠城対策として、日常の生活に重要なことは水と塩の確保。城内には井戸が掘られ、塩櫓が築かれました。その両方を兼ね備えたのが姫路城の塩櫓です。連続する「ハの渡櫓」と「二の渡櫓」(ともに一重渡櫓)が正式名称。慶長年間の築と推測され、国の重要文化財に指定されています。

正式名は「ハの渡櫓」「二の渡櫓」

曲線を描く珍しい「二の渡櫓」
内部には井戸も配され籠城の際にも活躍必至

天守群の北側にある腰曲輪(こしくるわ=本丸などの主要な曲輪の腰の部分に配される曲輪)に建つ美しい曲線状の櫓です(正しくは渡櫓ではありませんが、明治時代に陸軍が渡櫓という名を付与しています)。
一般的に、腰曲輪は、細長く帯状に城を囲む曲輪で、帯曲輪よりも短い曲輪のことをいいます。

腰曲輪のカーブをそのまま活かした曲線状の塩櫓内部には、往時の塩分が残存し、壁の下には塩分が滲み出しています。
何度壁を塗り直しても下から滲む出すのだとか。

姫路城・塩櫓
名称姫路城・塩櫓/ひめじじょう・しおやぐら
Shio-yagura(Salt Turret),Himeji Castle
所在地兵庫県姫路市本町68
関連HP姫路城公式ホームページ
電車・バスでJR・山陽電鉄姫路駅から徒歩15分
ドライブで山陽自動車道山陽姫路東ICから約6km
駐車場市営大手門駐車場(600台/有料)、市営姫山駐車場(250台/有料)、市営城の北駐車場(150台/有料)
問い合わせ姫路城管理事務所 TEL:079-285-1146/FAX:079-222-6050
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

姫路城

日本の近世城郭のなかでも、築城当時の姿を残す唯一の存在といわれる姫路城。歴史は古く、1333(元弘3)年、播磨の守護職・赤松則村によって、砦が築かれたのが始まり。羽柴秀吉により、さらに池田輝政が現在の城郭を建築しました。天守群は国宝に、そし

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