兵庫県神戸市東灘区、六甲山(東六甲)の山裾、保久良山に鎮座するのが、保久良神社(ほくらじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載される式内社で、常夜灯に灯される火は「灘の一つ火」と称されています。高台にあるので眺望もよく、春は保久良梅林の梅も見事です。
淡路島を眺望する絶景の地には、航海の安全を守った常夜灯が
境内からは稲の刈り込みに使ったと推測される石包丁、弥生式土器が出土し、南西隅から祭祀に使われた銅戈(どうか=敵の首や頭に打ちこんで引きずり倒す青銅製武器)が出土した巨石群は、古代祭祀の磐座(いわくら)、磐鏡(いわかがみ)だと推測され、古代から聖なる地として崇められていたことがよくわかります。
社伝によれば神護景雲3年(769年)、兎原郡倉人水守らが大和連姓を賜った(『続日本紀』に「摂津国菟原郡人正八位下倉人水守等十八人に大和連の姓を賜う」という記述があります)際に、創建されたとされる古社で、明石海峡を隔て、淡路島を眺める絶景の地に神が降臨する磐座という、神域らしい環境です。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)ですが、椎根津彦命は神武東征の際に速吸門(はやすいのと=明石海峡)に現れ、軍を先導したとされる神で、大阪湾・明石海峡を支配した豪族に由来する社なのかもしれません。
常夜灯「灘の一つ火」も、日本武尊命(やまとたけるのみこと)が、熊襲(くまそ=古代に南九州を支配したと伝承される集団)征討の帰途、瀬戸内海の闇で行く手がわからなくなった際、その火に導かれて無事に難波津にたどり着いたという伝説もあります。
現存する常夜灯も、文政8年(1825年)という歴史あるもの。
昔は篝火(かがりび)を焚き、近世〜近代には種油にて神火を灯し、1日も絶やさず奉仕を続けたといい、境内には古謡「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の石碑が立っています。
常夜灯「灘の一つ火」は標高185mに位置しているので、理論上の光達距離は32海里(59km)と近代的な灯台と同様の機能を果たしていたと推測できるのです。
かつては山麓・北畑の「天王講」(神仏習合時代には牛頭天王を祀っていました)が当番制で夕方に火を入れていましたが、現在は防火対策で自動点灯の電灯に変わっていますが、その伝統は「天王講」として受け継がれています。
保久良梅林は例年2月末〜3月上旬が見頃。
保久良神社と保久良梅林の間を抜け、金鳥山、芦屋ロックガーデン・風吹岩に向かう登山道があり、「毎日登山」が行なわれています(高座の滝と結ぶハイキングも可能)。
1万回以上登った人もいるという恒例行事です。
保久良神社は、掬星台、ポーアイしおさい公園、ビーナステラス、会下山公園、光山寺、須磨浦山上遊園回転展望閣、アジュール舞子、雌岡山、高取山とともに「神戸らしい眺望景観10選」にも選定されています。
保久良神社 | |
名称 | 保久良神社/ほくらじんじゃ |
所在地 | 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680 |
電車・バスで | 阪急電鉄岡本駅から徒歩30分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 保久良神社社務所 TEL:078-411-5135 |
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