日本最北のお茶は、なんと秋田県に! しかも手摘み、手もみで製造

日本最北のお茶・檜山茶

「経済的流通のある栽培地」としてのお茶の北限は、新潟県村上市と茨城県久慈郡大子町を結んだ線だとされていますが、実際には秋田県北部の能代市檜山地区で江戸時代中期から営農として茶栽培が行なわれています。これが「日本最北のお茶」、檜山茶(ひやまちゃ)です。

北限のお茶は、昔ながらの手摘み、手もみで製造

出羽久保田藩の家老で、檜山を領有したの多賀谷氏当主の多賀谷峯経(たがやみねつね)は、茶道を好む風流人でしたが、享保15年( 1731年)頃、宇治から茶の種を取り寄せて茶の栽培を始めています。
これが檜山茶のルーツで、300年近い歴史があることになります。

その後、江戸時代後期の天保の大飢饉の天保10年(1839年)、多賀谷家の家老・石川官太夫が伊勢参宮の際、茶の種と製法を伝授され、茶栽培は武士の内職として奨励したのです。
こうして、江戸時代後期に檜山地区一帯で茶栽培と製茶が盛んとなったのです。
宇治から製茶師を招いての技術向上もあって、最盛期には200戸あまりの武士が茶を栽培しました。

明治維新で武士が屋敷を手放したことで、第二次世界大戦中の食糧難で茶畑は大豆や小豆などに代わり、現在では2軒(元祖檜山茶大髙園、茶誠堂)のみとなっています。

檜山茶は、周囲を秋田杉に囲まれた茶園で栽培されるため、甘みのある茶葉が生まれ、しかも昔ながらの手摘み、手もみで製造されています。
茶誠堂では、檜山茶を使った「茶羊かん」も製造し、檜山茶の宣伝にも一役買っています。

元祖檜山茶大髙園では、予約で茶園見学も可能。
元祖檜山茶大髙園、茶誠堂ともに通信販売も行なっています。

日本最北のお茶は、なんと秋田県に! しかも手摘み、手もみで製造
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