天正15年(1587年)、豊臣秀吉により戦歿将兵の慰霊のために建立された857畳の大経堂が、宮島の千畳閣。神仏分離で、明治5年に大経堂を千畳閣と改称し、本尊・釈迦如来座像などの仏像を大願寺に移し、豊国神社(とよくにじんじゃ)の本殿となっています。秀吉の没後、建築工事はなぜか中止され、今も天井が張ってないなど未完のまま。
秀吉が建築を命じた857畳の大経堂は未完成!
もともとは、豊臣秀吉が、戦歿将兵の慰霊の読経の堂宇(経堂)を建立するために天正15年(1587年)に発願し、安芸の安国寺(不動院)出家したという大名・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に命じ建立した本瓦葺き入母屋造りの大経堂。
安国寺恵瓊は、備中高松城攻めの最中に、本能寺の変が勃発するも、それを隠しての和睦に尽力。
その後、秀吉の近臣となり、活躍しました。
天正14年(1586年)の九州征伐後は6万石に加増され、僧でありながら豊臣大名という異例の立場でしたが、そんなさなかに千畳閣建築の命が下っているのです。
廃仏毀釈、神仏分離の嵐は、宮島にも吹き荒れ、豊国神社となった明治維新後は、豊臣秀吉を祀り、大正7年に宝山神社祭神の加藤清正を合祀しています。
千畳閣の瓦を見ると「王」の文字が刻まれていますが、創建時に、秀吉を王と仰いだ安国寺恵瓊の配慮なのかもしれませんが、明治となってまさに神号を与えられて、王と刻まれた意味が発揮されているのです。
桃山時代の気風を残した雄大で眺めのいい建物は、江戸時代には五重塔を眺める納涼の場などとしても使われていました。
千畳閣のすぐ側に立つ五重塔は応永14年(1407年)建立とされる檜皮葺き屋根の塔。
ともに国の重要文化財となっています。
ちなみに千畳閣近くの「塔之岡茶屋」の太閤力餅は、建築を担った人々の労を黄粉をまぶした餅でねぎらったのが始まりと伝えられています。
千畳閣(豊国神社本殿) | |
名称 | 千畳閣(豊国神社本殿)/せんじょうかく(とよくにじんじゃほんでん) |
所在地 | 広島県廿日市市宮島町 |
関連HP | 宮島町観光協会公式サイト |
電車・バスで | JR宮島口駅からJR連絡宮島航路または松大観光船で10分、宮島桟橋下船、徒歩15分 |
ドライブで | 山陽自動車道廿日市ICから約4.7km。または、大野ICから約5kmで宮島口 |
駐車場 | 宮島口市営駐車場(166台/有料)・もみじ本舗駐車場(500台/有料) |
問い合わせ | 厳島神社 TEL:0829-44-2020 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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