広島県尾道市、尾道市街から「瀬戸内しまなみ海道」で新尾道大橋を渡ると向島(むかいじま)。島の南部にある標高283.3mのピークが高見山です。山頂へは車道も通じているので雄大な展望を汗を流さずに堪能することが可能。展望台からは南に因島大橋、北に尾道方面を眺望し、遠く四国の山並みまで見渡す瀬戸内海屈指の大パノラマが展開。
高見山の山頂からしまなみ海道随一の大パノラマが展開
中世、向島は7つの島から形成され、この高見山は大谷山と呼ばれており、村上水軍全盛期には見張り所が設けられていた場所。
島の最高地点である高見山は瀬戸内海航路を見張る重要な場所だったたどることは容易に想像ができます。
また山頂を起点に立花漁港(立花自然活用村)へと下る文学散策路「瀬戸のうたみち」も整備され、途中には小林一茶、高浜虚子など文人墨客の22点の作品が岩に刻まれ配されています。
山頂への道路の開通状況を確認の上、展望台へとドライブを。
高見山と因島村上水軍
山麓の観音崎に城山という城山が残されていますが、これは村上吉充(むらかみよしみつ)が布刈瀬戸航路の見張所として築いた余崎城の城跡。
天文24年10月1日(1555年10月16日)、安芸国厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた厳島の戦いの後、村上吉充が余崎城を向島統治の拠点としたのではないかと推測されています。
因島にはこのほか、青影山頂の青陰城、因島の北西部の馬神城と青木城、三ヶ崎の先端部の美可崎城、三庄湾の北の一ノ城など数多くの城(砦)が築かれ、島全体が因島村上水軍の砦のような様相をていしていたのです。
天文24年10月1日(1555年10月16日)、安芸国厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた厳島の戦いの後、村上吉充が余崎城を向島統治の拠点としたのではないかと推測されています。
因島にはこのほか、青影山頂の青陰城、因島の北西部の馬神城と青木城、三ヶ崎の先端部の美可崎城、三庄湾の北の一ノ城など数多くの城(砦)が築かれ、島全体が因島村上水軍の砦のような様相をていしていたのです。
高見山展望台 | |
名称 | 高見山展望台/たかみやまてんぼうだい |
所在地 | 広島県尾道市向島町立花 |
関連HP | 尾道観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR尾道駅から徒歩10分、尾道渡船で5分、向島下船、尾道市営バス兼吉循環線で10分、高見山登山口下車、徒歩1時間 |
ドライブで | 山陽自動車道福山西ICから約15km |
駐車場 | 200台/無料 |
問い合わせ | 尾道市観光課 TEL:0848‐38‐9184 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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