三高山砲台跡(砲台山)

三高山砲台跡(砲台山)

広島県江田島市、江田島の山中、三高山(みたかやま、401.8m/地形図には砲台山と表記)の山頂北側に築かれた要塞時代の砲台跡が、三高山砲台跡(砲台山)。明治23年に呉鎮守府が開庁し、ロシア艦隊の呉港、広島湾入港を阻止するため、広島湾沿岸に築かれた砲台群のひとつ。瀬戸内海最大規模の砲台です。

広島湾要塞の一部、瀬戸内海規模の砲台跡が江田島に

三高山砲台跡(砲台山)

厳島を望む、江田島北西に位置する山は三高山が正式名でしたが、広島湾要塞の要の砲台が築かれたことで砲台山と呼ばれるようになり、今では国土地理院の地形図にも砲台山と記されています。

砲台建設が始まった明治32年には、まだバルチック艦隊と呼ばれる艦隊はありませんでしたが、海軍力を増強し、日本との戦争に備え始めたため、日本側もとくに瀬戸内海沿岸での軍事拠点の要塞化が進んだのです(三高山砲台は、明治32年3月9日起工、明治34年3月7日完成)。
播州レンガを使ったレンガ造りの砲台で、二十八糎榴弾砲(にじゅうはちせんちりゅうだんほう=対艦用の海岸砲)6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ臼砲(きゅうほう=曲射砲)4門、さらに弾薬庫4棟、巡回監視所などが設置されました。

一帯は、創造の森森林公園として整備され、砲台山の山上へは林道砲台山線(5.7km)が通じ、砲台の跡は遊歩道で見学が可能。
林道沿いに28cm榴弾砲6門装備の北部砲台跡と、9cm速射砲と9cm臼砲各4門を装備した南部砲台跡に分かれ、遊歩道が結んでいます。
北部砲台跡には旧軍道路の馬返も残されています。

広島湾内にあった砲台は、着工順に、岸根鼻砲台、鷹ノ巣低砲台、室浜砲台(明治31年度着工)、三高山堡塁、大君低砲台、早瀬第一堡塁、早瀬第二堡塁(明治32年度着工)、高烏砲台、休石砲台(明治33年度着工)、大空山堡塁(明治34年度着工)です。

三高山砲台跡(砲台山)
三高山砲台跡(砲台山)
名称 三高山砲台跡(砲台山)/みたかやまほうだいあと(ほうだいやま)
所在地 広島県江田島市沖美町三吉
関連HP 江田島市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 三高港からタクシーで20分、または、徒歩1時間30分
ドライブで 三高港から約6km
駐車場 あり
問い合わせ 江田島市観光協会 TEL:0823-42-4871
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
海上自衛隊幹部候補生学校(旧海軍兵学校)

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