宗谷歴史公園・宗谷厳島神社

伝承では、蛎崎慶広(かきざきよしひろ)が、1561(永禄4)年、姓を松前と改めた際に、宗谷に弁財天堂を寄進したのが始まりといいますが定かでありません。宗谷における和人の歴史は古く、1582(天正10)年、松前藩領となり、1685(貞享2)年、松前藩が宗谷場所を開設しています。和人の宗谷開拓の歴史を伝える社です。

宗谷開拓の歴史を伝える古社

宗谷厳島神社は、1782(天明2)年奉納と記された(「奉納天明寅壬月吉日宗谷御場処/奥州南部大畑武川氏敬白支ハイ人向井金蔵」)鰐口が現存することから1781(天明元)年創建と推測される古社。
つまりは蛎崎慶広創建はあくまで伝承ということになりますが、その時代からすでにアイヌと和人との交易があったことの証ともいえます。

祭神は市杵島姫命(いつくしまひめのみこと)。

現存する社殿は明治3年、赴任したばかりの開拓使・竹田十右衛門(信順)判官(元越後高田藩士)により修築されたもの。
竹田十右衛門は、開拓使長官・東久世通禧(ひがしくぜみちとみ=七卿落ちで長州に逃れた尊王攘夷派公卿のひとり)とともに明治2年9月21日、品川を出航、9月25日、イギリスの雇船・テールス号で箱館港に入港し、そのまま宗谷に赴任しています。

往時には現・宗谷小学校の下にあり、100基を超える鳥居がトンネルのように並んでいましたが、海岸近くのため社殿の腐食もあって昭和45年、現在地に遷座しています。

宗谷歴史公園・宗谷厳島神社
名称 宗谷歴史公園・宗谷厳島神社/そうやれきしこうえん・そうやいつくしまじんじゃ
所在地 北海道稚内市宗谷村宗谷99-2
関連HP 稚内・利尻・礼文観光WEBサイト
ドライブで 稚内空港から約16km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 稚内市建設産業部都市整備課 TEL:0162-23-6460
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

宗谷歴史公園・旧藩士の墓

ロシアの南下に備える最前線で警備をするために、寒さに強いとの理由で、1807(文化4)年、津軽藩士230名が宗谷に派遣されています。冬の厳しい寒さで多数の越冬死者を出し、翌1808(文化5)年には、内藤源助、梶原平馬率いる会津藩士587名が

宗谷歴史公園・宗谷護国寺跡

徳川幕府は寺院の建立を禁じていましたが、1802(享和2)年、蝦夷地全島を直轄地とした幕府は蝦夷地に5ヶ寺の建立を許可し、1804(文化元)年に有珠善光寺、様似等樹院、厚岸国泰寺の3寺が開山しています。その後、幕末に秋田藩士の駐屯するソウヤ

 

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