一石一字塔

一石一字塔

北海道えりも町の百人浜、悲恋沼の脇にある石塔が一石一字塔。江戸時代半ばの文化3年(1806年)に建立された花崗岩の石塔。襟裳岬周辺は、海難事故が多く、その遭難者の魂を鎮魂するための碑。仏教の経典の文字を浜石に記した写経の一種で、わざわざ備前(現・岡山県)の花崗岩を使っています。

江戸時代、百人浜に築かれた石塔

襟裳岬のある東蝦夷地は、寛政11年(1799年)に幕府の直轄地となり、文化元年(1804年)、蝦夷地には有珠の善光寺(浄土宗)、厚岸の国泰寺(臨済宗)と様似の等澍院 (天台宗)という3つの官寺を設立。
襟裳岬一帯の漁場(幌泉場所)は、等澍院の管轄でしたから、法力により安全な航海ができるようにとの願いが込められていることは明らか。

さらには仏教の浸透を図り、蝦夷地に暮らす和人・アイヌを仏法の力を借りて統制しようという狙いもあったと推測できます(徳川幕府は、アイヌ文化の儀礼、祭事の独自性を保ちながら教化策を進めました)。
建立当時は少し北側を流れるキスケ川河口にありましたが、その後2回移設され、昭和31年に現在地に移されています。
往時には写経石が埋められていたと推測されますが、移転の際に失われています。

一石一字塔
名称 一石一字塔/いっせきいちじとう
所在地 北海道幌泉郡えりも町庶野
関連HP えりも町公式ホームページ
ドライブで とかち帯広空港から約117km
駐車場 百人浜駐車場(80台/無料)
問い合わせ えりも町産業振興課商工観光係 TEL:01466-2-4626/FAX:01466-2-4633
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
百人浜

百人浜

北海道えりも町、襟裳岬(えりも)から庶野(しょや)まで続く15kmの砂浜。百人浜のバス停前にある一石一字塔は、江戸時代に南部藩の御用船が難破し、この浜で息絶えた100人の乗組員の供養塔。これが百人浜の名の由来となっています。その横には悲しい

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ