勇武津資料館(勇払開拓史跡)

苫小牧一帯に広がる勇払原野には、1800(寛政12)年、八王子千人同心がロシアの南進に備えての北方警備に入植。その前年に八王子千人同心組頭・原胤敦(はらたねあつ=原半左衛門)が次男・三男対策として蝦夷地の警備を幕府に申し出たもの。そんな知られざる歴史を今に伝えるのが勇武津資料館です。

知られざる勇払開拓の歴史を学ぶ

本来は、甲州口(武蔵・甲斐国境)警備の八王子千人同心ですが幕末には屯田兵の走りのような任務についていました。
八王子千人同心は公務以外は農業に従事しており、開拓しながら警備するという蝦夷地警固には最適と思われたのです。

原半左衛門は50人を引き連れて白糠(しらぬか)に入植、その弟・原新介が残りの50人とともに勇武津(苫小牧市勇払)に入植しています。

蝦夷地では厳しい自然が待ち受け、1804(文化元)年までに病死者32名、帰国者19名を出し、入植4年目に開拓を断念。
一部の同心が地雇い同心として蝦夷地に残るものの、原胤敦と弟・新介らは1808(文化5)年に江戸に帰還し、原胤敦は千人頭に復帰し、1813(文化10)年には幕命により塩野適斎、植田孟縉とともに『新編武蔵風土記稿』、『新編相模国風土記稿』の編纂に従事しています。

明治の北海道開拓の屯田兵にも通じる先駆的な活躍はもっと見直されてもいいでしょう。
この縁で苫小牧市と八王子市は姉妹都市にもなっているのです。

ちょうど勇武津では伊能忠敬の蝦夷地測量の時期と重なり、忠敬も八王子千人同心に面会しています。

勇武津資料館の建物は、勇払会所をイメージしたもので、館内には蝦夷地(北海道)開拓の先駆けとなった千人同心の生活用具や出土した史料などを展示。

「蝦夷地開拓移住隊士の墓」(八王子同心4基9名、勇武津会所7基8名、山田屋等1基6名、不明6基6名の、合計18基29名の墓)もあり、一帯は史跡公園となっています。

公園北側には開拓使三角測量勇払基点もあり、復元標石が置かれているのでお見逃しなく。

 

勇武津資料館(勇払開拓史跡)
名称 勇武津資料館(勇払開拓史跡)/ゆうふつしりょうかん(ゆうふつかいたくしせき)
所在地 北海道苫小牧市勇払132-32
関連HP 苫小牧市公式ホームページ
電車・バスで JR勇払駅から徒歩10分
ドライブで 道央自動車道苫小牧東ICから約11.7km
駐車場 勇払開拓史跡公園駐車場(無料)を利用
問い合わせ 勇武津資料館 TEL:0144-56-0201/FAX:0144-56-0201
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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