二本松城(霞ヶ城公園)

福島県二本松市にある平山城で、畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414(応永21)年頃に築城したのが始まり。藩政時代には二本松藩主丹羽氏の居城となり、近世的な天守が築かれたのも丹羽長秀の孫・光重が10万700石で入城した際です。「日本100名城」、「日本さくら名所100選」、「日本の歴史公園100選」に選定。

藩政時代には伊達家を睨む丹羽氏の居城に

二本松市街の北、標高334.2mの「白旗が峰」に築かれた城。
室町時代中期に奥州探題を命じられていた畠山氏7代当主・二本松満泰が二本松城として築造し、戦国時代にはたびたび伊達政宗の攻撃を受け、ついに開城、二本松氏は滅亡しています。

1643(寛永20)年、初代二本松藩主・丹羽光重(にわみつしげ)が移り住んだ頃、霞ヶ城と呼ばれるようになりました。
丹羽光重は、藩の諸制度を定め、城郭や道路・城下町の大規模な整備事業を行なっています。

丹羽氏を白河・二本松に配したのは徳川幕府から伊達政宗への備えという使命を帯びてのこと。
長重の正室は、信長の娘で2代将軍・徳川秀忠の正室・お江(おごう)と従姉妹にあたる関係。
この時、本丸に石垣が積まれ、3重の天守が築かれています。

以降、明治維新に至るまで、丹羽氏の治世が続いています。

明治維新の際、二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦ったため、明治5年の廃城令ではすべての建物が破却されています。

このため霞ヶ城公園となった現在、江戸時代の城郭建築は残されていませんが、安土城の石垣を積んだ穴太衆(あのうしゅう)が積んだ天守台が現存。
二本松城跡として国の史跡に指定され、一帯は県立霞ヶ城公園として整備されています。

春の桜、秋の菊人形で有名!

城郭内にある約1700本の桜が美しく、開花時には城郭全体に薄桃色の霞がかかったように見えることから霞ヶ城と呼ばれるようになったとも伝えられるほどの桜の名所。
桜の見頃は例年4月上旬〜4月下旬頃。4月上旬〜ゴールデンウィーク頃まで『霞ケ城公園桜まつり』も開催されます。

また、毎年10月〜11月には県立霞ヶ城公園を会場に『二本松の菊人形』が開催されます。

公園内には昭和57年再建の箕輪門と附櫓があるほか、石垣が残る搦手門(からめてもん=裏門)跡、丹羽光重時代の庭園の名残という「るり池」(池泉回遊式庭園)、5代藩主・丹羽高寛が藩士の戒め(藩政改革と綱紀粛正の指針)とするため刻ませたという「旧二本松藩戒石銘碑」、樹齢300年という傘松、応永年間(1400年頃)に掘られたという「日影の井戸」、丹羽藩主時代の「墨絵の茶屋」を移築した「洗心亭」(城跡内唯一の江戸時代の建築物)などがあり、安達太良山から18kmの引水を行なった「二合田用水」、歴代藩主丹羽家が祀られている丹羽神社などで往時を偲ぶことができます。

「日影の井戸」は、千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と、日・月・星で「三井戸」とも呼ばれています。

また、大きな自然石に「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川」という高村光太郎『樹下の二人』(詩集『智恵子抄』)の冒頭の句が刻まれた智恵子抄詩碑、旧会達製糸株式会社の社歌を作詞した土井晩翠の歌碑(昭和31年建立)、戊辰戦争時の二本松少年隊を顕彰する「二本松少年隊群像」(平成8年建立)などがあります。

二本松少年隊群像
二本松城(霞ヶ城公園)
名称 二本松城(霞ヶ城公園)/にほんまつじょう(かすみがじょうこうえん)
所在地 福島県二本松市郭内3-232
関連HP 二本松市公式ホームページ
電車・バスで JR二本松駅から徒歩20分
ドライブで 東北自動車道二本松ICから約2.5km
駐車場 300台/無料
問い合わせ 二本松市公園緑地係 TEL:0243-55-5130/二本松市教育委員会 TEL:0243-55-5154
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