福島県南会津郡南会津町にある中世の城跡が鴫山城(しぎやまじょう)。関東方面から会津への入口、南山口(みなみやまぐち)を固める山城(南山城とも)。築城は南北朝時代まで溯り、長沼氏(祖は現在の栃木県真岡市長沼の宗光寺を館とした)が元寇以降に南会津の田島地方を領有、鴫山城を築いたと伝えられます。
直江兼続が対家康防御の拠点と考えた城
標高739mの愛宕山山頂を本丸とする中世の山城が鴫山城(南山城)で、戦国時代の末、慶長3年(1598年)に豊臣秀吉の命で会津に入った上杉景勝(うえすぎかげかつ=豊臣政権の五大老)は、同年、直江兼続(なおえかねつぐ)の弟、大国実頼(おおくにさねより)を城代としてに配置。
NHK大河ドラマ『天地人』で有名になった直江兼続は、弟の大国実頼に命じ、会津西街道の上三依(かみみより)集落に鶴ヶ渕防塁(現・栃木県日光市上三依)を築かせ、さらに鴫山城の守りを固めています。
当時、宿敵だった徳川家康の会津侵入をここで食い止めようと考えていたのです。
鴫山城は、外郭、内城、詰め城の3段構成で形成され、山頂の愛宕神社が詰め城、その下段の平坦地が内城。
大国実頼は、二重に土塁を施し、堅牢な山城に改築していますが、寛永4年(1627年)、伊予松山藩主・加藤嘉明(徳川家康家臣・加藤教明の長男)が会津転封となった際に廃城となっています。
レトロな洋館、旧南会津郡役所が山城の登城口(登山口)となり、大手口の石垣と堀、主水曲輪の石垣などに往時を偲ぶことができます。
鴫山城 | |
名称 | 鴫山城/しぎやまじょう |
所在地 | 福島県南会津郡南会津町田島根小屋甲 |
関連HP | 南会津町公式ホームページ |
電車・バスで | 会津鉄道会津田島駅から徒歩15分 |
ドライブで | 磐越自動車道会津若松ICから約48.2km。または、東北自動車道白河ICから約48.2km |
駐車場 | 旧南会津郡役所・福島県南会津合同庁舎駐車場を利用 |
問い合わせ | 田島観光センター TEL:0241-62-3000 |
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