新宮熊野神社

新宮熊野神社

新宮熊野神社は福島県喜多方市にある東北の熊野信仰の隆盛を今に伝える古社。天喜3年(1055年)、前九年の役(奥州十二年合戦)の際に鎮守府将軍・源頼義(みなもとのよりよし)が安倍軍鎮圧の際に、熊野権現を勧請して創建した古社です。拝殿の熊野神社長床(くまのじんじゃながとこ)は、国の重要文化財。御神木の大イチョウも見事です。

平安時代後期、奥州に伝わった熊野信仰

新宮熊野神社
熊野神社長床(国の重要文化財)
新宮熊野神社
本殿(福島県の重要文化財)

熊野本宮(阿弥陀如来/家都御子神)、新宮(薬師如来/熊野速玉男神)、那智社(千手観音/熊野牟須美神)が熊野三山(熊野三所権現)で、平安時代後期、阿弥陀信仰と浄土教の隆盛とともに、熊野の地が浄土と見なされるようになり、朝廷の尊崇を受け、熊野詣でが始まりました。
本来は神仏習合で、三所権現というように三ヶ所に祀られる必要がありました。

奥羽においても寛治3年(1089年)、後三年の役の時に源頼義の子・源義家が現在の新宮熊野神社の地に新宮(薬師如来)、岩沢村(喜多方市上三宮町)に本宮(阿弥陀如来)、那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に勧請して三所権現としています。
後に、本宮、那智社を配して新宮に合祀し、今では新宮熊野神社が熊野信仰を伝えるだけとなっているのです。

鎌倉時代には源頼朝の尊崇を受け、義経追討軍と奥州藤原氏の奥州合戦後には「鵯越の逆落とし」で真っ先に駆け下りたという武勇でも知られる佐原義連(さわらよしつら=佐原城主)が会津を与えられ、孫の佐原時連は建暦2年(1212年)、新宮城を築いて新宮氏を名乗っています。
ちなみに佐原義連は、相模国三浦郡衣笠城(現・横須賀市衣笠町)の城主で三浦半島を領有した三浦義明(みうらよしあき)の子。

文殊堂本尊は、日本遺産「会津の三十三観音めぐり」の構成資産

新宮熊野神社
修験者の道場ともなったと推測される長床
新宮熊野神社
11月の紅葉シーズンにはライトアップも実施

江戸時代初めには多くの建物がありましたが、本殿を除いて慶長16年(1611年)の会津地震で倒壊。
国の重要文化財に指定される熊野神社長床も慶長19年(1614年)に旧材を用いて再建されたものです。

神仏習合時代には会津熊野と称され、多くの信者を集めましたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈で新宮熊野神社となっています。
境内にある文珠堂は、神仏習合時代の名残で、文珠堂本尊として木造文珠菩薩騎獅像(福島県の重要文化財)を安置しています。
日本遺産「会津の三十三観音めぐり」の構成資産にもなっています。

さらに神社ながら除夜の鐘という行事も残り、12月31日23:00〜元旦3:00の間、参拝者は除夜の鐘をつくことができ、『行く歳来る歳絵ろうそく祭り』が開催されています。

ちなみに御神木の大イチョウの黄葉の見頃は例年11月中旬です。

新宮熊野神社 DATA

名称 新宮熊野神社/しんぐうくまのじんじゃ
所在地 福島県喜多方市慶徳町新宮熊野2258
関連HP 喜多方観光物産協会公式ホームページ
電車・バスで JR喜多方駅からタクシーで15分
ドライブで 磐越自動車道会津坂下ICから約14km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 新宮地区重要文化財保存会TEL:0241-23-0775/FAX:0241-23-0775
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
長床の大イチョウ(新宮熊野神社)

長床の大イチョウ(新宮熊野神社)

2018年8月18日

 

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