香取神宮、息栖神社(いきすじんじゃ)とともに東国三社に数えられるのが鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)。香取神宮同様に境内には要石と呼ばれる霊石があり、この石が地震を鎮める石として信仰されています。古来「御座石」(みまいし)や「山の宮」とも呼ばれた霊石で、江戸時代の錦絵『鹿島要石真図』にも描かれています。
鯰(ナマズ)が地震を生み出す原因!?
地震は鯰(ナマズ)が引き起こされるという考えがあり、その大鯰を押さえつけるための石がこの要石。
要石は大鯰の頭と尾を抑える杭という信仰で、地上には直径30cm・高さ7cmほどしか出ていませんが、地中には巨石が埋まっているのだとか。
『水戸黄門仁徳録』には、水戸藩主・徳川光圀が要石の周囲を7日7晩掘り起こしても、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったと記されています。
神無月(かみなづき=旧暦10月)に起こった地震は、祭神の武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)が出雲に行って不在のために発生した(武甕槌大神が要石を押さえているという信仰から)とも。
『鹿島要石真図』は、安政2年10月2日(1855年11月11日)に発生した安政江戸地震後に描かれた地震鯰絵。
鹿島神が地震を起こす大鯰を剣で押さえつけています。
よく見ると、鹿島神の周囲には材木、金槌(かなづち)や鉋(かんな)などの大工道具、小判が散らばる様子も描かれ、復興バブルの風刺画、あるいは災い転じて福となすという教えにもなっているのです。
大和朝廷の東国経営と地震鎮護
出雲の国譲り神話の中で、出雲に赴いたとされるのも武甕槌命(鹿島神)と、経津主命(香取神)。
その武神たる神の武威に、出雲を支配する大国主命が従うことになったとされ、大和朝廷の東北平定に際して、鎮座したのが鹿島神宮、香取神宮。
鎮護国家の神として大和朝廷の東国経営の一翼を担うにあたり、懸案だったのが地震鎮護。
そのため、神の武威を示すためにもこの要石が重要な役割を担ったと推測できます。
鹿島神宮の要石は凹型ですが、香取神宮は凸型。
ペアになっていることからも、両神が大鯰を抑えるという古代の地震鎮護の図式がよくわかります。
鹿島神宮・要石 | |
名称 | 鹿島神宮・要石/かしまじんぐう・かなめいし |
所在地 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 |
関連HP | 鹿島神宮公式ホームページ |
電車・バスで | JR鹿島神宮駅から徒歩7分、高速バス利用の場合は関東鉄道鹿島バスターミナルから徒歩5分 |
ドライブで | 東関東自動車道潮来ICから約6.5km |
駐車場 | 第一駐車場(60台/有料)、第二駐車場(55台/無料)、臨時駐車場(330台/無料、正月・祭礼寺は有料) |
問い合わせ | 鹿島神宮 TEL:0299-82-1209/FAX:0299-82-1625 |
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