徳川家康没後400年記念(2)家康人質交換の笠寺観音

平成27年は、徳川家康没後400年。
徳川家康ゆかりの地を取材するシリーズの第2弾は名古屋市です。
名古屋は「三英傑」(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)ゆかりの地。
全国的には信長ファンが多い感じですが、
尾張徳川家の土地だけに、家康への思いも熱いものがあります。

家康、人質となって名古屋に幽閉

家康が幼少時代に、今川家の人質になっていたことは知られています。
ところが案外、織田家の人質として、幼年時代を名古屋で暮らしたことは知られていません。

家康の生い立ちをさらりと学んでおきましょう。
天文11年12月26日(1543年1月31日)、岡崎城に生誕(幼名、竹千代)
天文16(1547)年、松平広忠(家康の父)は、岡崎を攻略しようとする織田信秀(織田信長の父)に対抗するため、当時は大きな勢力を有した今川義元と同盟を結びます。そすして弱冠6歳の竹千代(家康)は、人質として今川方に差し出されることに。
こうして家康の波瀾万丈の生涯が始まります。
今川家の居館である駿府(静岡市)への護衛は田原城主・戸田康光が担当。岡崎城から徒歩で渥美半島へと出て、老津の浜(豊橋鉄道渥美線老津駅近く)から舟で駿河を目ざすという計画だったわけですが、船はなぜか織田信秀の居城・那古野城(のちの名古屋城)を目ざします。
竹千代は、義理の祖父の裏切りに合い、敵方の織田信秀に銭百貫で売り飛ばされたのです。

竹千代は当初、熱田神宮近くの豪商・加藤図書助順盛(かとうずしょのすけのぶもり)の邸宅に幽閉されていました。
その跡地には現在「家康幼児幽居地」(下の地図参照/愛知県名古屋市熱田区伝馬2-13-3)という看板が立つのみで、とくに往時を偲ぶものは何も残っていません。
家康は江戸に幕府を開いた後、加藤家に家康は140余石の土地を与えて、感謝の意を表していますが、そんなところにも家康の気配りを感じます。

当時の那古野城は現在の名古屋城二の丸跡あたりにあった

当時の那古野城は現在の名古屋城二の丸跡あたりにあった

織田家の菩提寺・萬松寺は現在は大須に建っている

織田家の菩提寺・萬松寺は現在は大須に建っている

笠寺観音で人質交換

その後、竹千代は織田家の菩提寺・萬松寺(万松寺)に移されます。
萬松寺は、織田信秀が織田家の菩提寺として開基した寺。現在は名古屋の繁華街・大須に建っていますが、当時は織田家の居城、那古野城の南側、現在の名古屋市中区錦と丸の内2、3丁目にまたがる一帯に広大な寺域(5万5000坪)を所有していました。ここで3年ほど暮らす間に若き織田信長(信長は家康より9歳年上です)と対面したと推測できます。

天文18(1549)年、家康の父、松平広忠が没すると、今川家はすぐに動きます。
太原雪斎率いる2万の大軍が、織田方の安祥(あんじょう=安城)城を陥落させ、城将・織田信広(織田信長の庶兄)をついに生け捕りにします。

天文18年11月9日、織田家に幽閉された松平竹千代(家康)と今川家の囚われの身となった織田信広の人質交換交渉が成功。
東海道沿いの笠寺観音(笠覆寺/名古屋市南区)で人質交換が行なわれ、竹千代は駿府、今川義元の元に送られることになります。
笠寺観音では、平成27年4月11日(土)~18日(土)は、8年に一度の『秘仏御開帳』も行なわれます。

名古屋城を守る「尾張四大観音」のひとつ笠寺観音

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この日にお参りすると9万9000日お参りしたのと同じ功徳が頂ける「九万九千日」は8月9日

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