「加賀の平賀源内」、「加賀のダ・ヴィンチ」と称された大野弁吉が発明した品々を展示するのが北前船で栄えた大野にある石川県金沢港大野からくり記念館。幕末期、大野に住み、「からくり師」として知られた大野弁吉の世界を紹介する石川県立の記念館で、館内には座敷からくり茶運び人形、涼風車、五段返り人形などが展示されています。
「加賀の平賀源内」と呼ばれた大野弁吉を知ろう!
石川県金沢港大野からくり記念館の建物は、石川県七尾美術館などを手がけた日本建築史を代表する建築家、内井昭蔵(うちいしょうぞう)の設計で、北前船をイメージしたもの。
館内では「からくり人形」、機巧人形「芋掘り長者」が動く様子をじっくりと見学でき、大人でもワクワクするほど楽しめます。
「エレキテルの店先」コーナーは、静電気を発生させる摩擦起電器・エレキテルが、電気治療器として医療に使われたり、見世物に使われたりした歴史を紹介。
大野弁吉の弟子・米林八十八は、金沢の上堤町と南町に奇物、機巧の店を開いています。
江戸後期に京坂では「のぞき」、江戸では「からくり」といって見世物としても流行した「のぞきからくり」も実際に体験することができます。
併設の「子ども体験棟」には子供が楽しめる木製のパズルやおもちゃがあり、赤ちゃん連れのファミリーにも人気です。
大野弁吉
大野弁吉(本名:中村屋弁吉)は、1801(享和元)年に京に羽細工師の子として誕生。
20歳の時、長崎でオランダ人から医学や理化学、天文学、鉱山学、写真術、航海術などを学び、対馬や朝鮮にも渡った後、京に戻り、中村屋八右衛門の長女・うたと結婚。
1831(天保2)年、妻の郷里である加賀国石川郡大野村(現・金沢市大野町)に移り住みます。
家具や机など生活用品を作る指物師のかたわら、多くのからくり作品を作り上げました。
振動を計測する分銅が上下に揺れる銃仕掛けの「里数計」(万歩計)、ゼンマイ仕掛けでバネを活用して鉄製の蛙が飛び跳ねる「飛び蛙」、秀逸な座敷からくりの「機巧 茶運び人形」、望遠鏡、写真機、発火器(現代のライター)など発明品は多数。
大野弁吉自筆の覚え書き綴り『一東視窮録』(いっとうしきゅうろく)には、科学機器エレキテルボルダ式パイルなどの図解、色ガラス、火薬、写真器、大砲、医薬品などの製法が記されています。
一東は大野弁吉の号、「窮」は、物理学、自然科学の意味です。
明治3年没。享年69歳。
20歳の時、長崎でオランダ人から医学や理化学、天文学、鉱山学、写真術、航海術などを学び、対馬や朝鮮にも渡った後、京に戻り、中村屋八右衛門の長女・うたと結婚。
1831(天保2)年、妻の郷里である加賀国石川郡大野村(現・金沢市大野町)に移り住みます。
家具や机など生活用品を作る指物師のかたわら、多くのからくり作品を作り上げました。
振動を計測する分銅が上下に揺れる銃仕掛けの「里数計」(万歩計)、ゼンマイ仕掛けでバネを活用して鉄製の蛙が飛び跳ねる「飛び蛙」、秀逸な座敷からくりの「機巧 茶運び人形」、望遠鏡、写真機、発火器(現代のライター)など発明品は多数。
大野弁吉自筆の覚え書き綴り『一東視窮録』(いっとうしきゅうろく)には、科学機器エレキテルボルダ式パイルなどの図解、色ガラス、火薬、写真器、大砲、医薬品などの製法が記されています。
一東は大野弁吉の号、「窮」は、物理学、自然科学の意味です。
明治3年没。享年69歳。
なお、金沢市大野町日和山の大野日吉神社東側には、大野弁吉屋敷跡の碑が立っています。
石川県金沢港大野からくり記念館 | |
名称 | 石川県金沢港大野からくり記念館/いしかわけんかなざわこうおおのからくりきねんかん |
所在地 | 石川県金沢市大野町4甲2-29 |
関連HP | 石川県金沢港大野からくり記念館公式ホームページ |
電車・バスで | JR金沢駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 北陸自動車道金沢西ICから約7.7km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 石川県金沢港大野からくり記念館 TEL:076-266-1311/FAX:076-266-1911 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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