雨宝院

雨宝院

金沢の犀川の西岸、寺町寺院群にある雨宝院(うほういん)は、奈良時代に白山を開山したと伝えられる泰澄(たいちょう)を開祖とする密教寺院(高野山真言宗)。泉鏡花(いずみきょうか)、徳田秋声(とくだしゅうせい)と並ぶ金沢の三文豪のひとり、室生犀星が7歳で養子として引き取られ、少年時代を過ごした寺として知られています。

室生犀星が少年期を過ごした寺町寺院群の古刹

寺町寺院群の北端に建つ古刹で、白山の妙理大菩薩に霊告を受けた泰澄が、大日如来を本尊としたと伝えられます。
文禄4年(1595)に大和国の雄勢(千日和尚)が神宮(伊勢神宮、当時は神仏習合)に千日参籠した後、再興。
雨宝院の建つ町が、千日町なのはこの千日和尚に由来する町名です。

境内の「犀星資料室」には、犀星の初版本や犀星が住職に宛てた書簡などを展示。
雨宝院の裏手には、犀星の詩「美しき川は流れたり、その畔りに我は住みぬ」と記した、犀川が流れています。
室生犀星は、明治22年、現在の室生犀星記念館の建つ場所で、加賀藩の元足軽組頭・小畠吉種と小間使・ハルの間に私生児として生誕。
7歳の時、雨宝院の住職・室生真乗の養子となって寺に引き取られ、室生照道を名乗ります。
裁判所勤めの際に、上司からの勧めで俳句を始め、見る間に文学の素養を発揮、北国俳壇へ投稿などでその名を高め、17歳から犀星の名を使い始めます。
当時、北国俳壇で名を馳せていた同郷の漢詩人・国府犀東(こくぶさいとう)が犀川の東から犀東という筆名にしたのを真似て犀星(犀川の西というシャレ)としたもの。

雨宝院の名の由来は、雨宝童子
神仏習合時代、両部神道(真言宗の立場からの神道解釈に基づく神仏習合思想)によれば、皇祖神として神宮に祀られる天照大神(あまてらすおおみかみ)の本地仏は、宇宙の真理を現す大日如来とされました。
両部神道で、天照大神が16歳の時、日向(ひゆうが)に下生(げしよう)したときの姿が右手に金剛宝棒、左手に宝珠を持つ雨宝童子(うほうどうじ)。
雨宝院の名は、この雨宝童子に由来します。
雨宝童子は、雨宝院の本堂内に安置されています。

 

雨宝院
名称 雨宝院/うほういん
所在地 石川県金沢市千日町1-3
関連HP 金沢市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR金沢駅から北陸鉄道バス野町・平和町方面行きで15分、片町下車、徒歩3分
ドライブで 北陸自動車道金沢西ICから約5km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 雨宝院 TEL:076-241-5646
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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