中学時代からの友人である堀合節子と19歳で結婚した石川啄木が、明治38年6月4日から6月25日までの3週間を暮らした家が盛岡市に現存する啄木新婚の家。父母、妹との同居で人生は毎日が貧困との闘いでした。啄木・節子夫妻が質素に暮らした四畳半の部屋も現存していますが、この部屋での生活は随筆『我が四畳半へ』に記されています。
わずか3週間ながら石川啄木が新婚生活を送った家が現存
「僅か三週の間なりしと は云へ、我が半生に於ける最大の安慰と幸福とを与へたりしかの陋苦しき四畳半」(『我が四畳半へ』)。
そんなふたりの新婚生活を偲ぶ節子が愛用した琴なども展示されています。
建物は、江戸時代末期に中級武士が居を構えていた屋敷です。
明治19年2月20日、岩手県南岩手郡日戸村(現・盛岡市玉山区日戸)の曹洞宗日照山常光寺の住職・石川一禎の長男として生まれた石川一(いしかわはじめ=石川啄木)。
1歳の時に、父が渋民村(現・盛岡市玉山区渋民)にある宝徳寺住職にとなったことで渋民村へ移住。
渋民尋常小学校、盛岡高等小学校、岩手県盛岡尋常中学校(啄木入学の翌年、岩手県盛岡中学と改称=現・現盛岡第一高等学校)に通っています。
明治38年5月3日に自費出版ながら第一詩集『あこがれ』を東京の小田島書房から出版。
中学時代に知り合った堀合節子と5月12日に結婚(婚姻届は父親が提出、啄木は東京にいて不在)。
6月4日に盛岡に帰り、住職を失職した父、母、妹・光子との同居で、家計を支えながらの新婚生活を送っています。
6月25日には、中津川のほとり加賀野磧町四番戸(現在の加賀野1丁目)に転居していますが、啄木の暮らしぶりがわかる遺構としてはこの新婚の家が盛岡では唯一のものとなっています。
啄木新婚の家 3つのチェックポイント
19歳で結婚した啄木が3週間暮らした家
「我が半生に於ける最大の安慰と幸福とを与へた」
江戸時代の武家屋敷で、妻・節子が愛用した琴などを展示
啄木新婚の家 | |
名称 | 啄木新婚の家/たくぼくしんこんのいえ Takuboku Honeymoon House |
所在地 | 岩手県盛岡市中央通3-17-18 |
関連HP | 盛岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR盛岡駅から岩手県交通都心循環バスでんでん虫右回りで5分、啄木新婚の家下車、すぐ |
ドライブで | 東北自動車道盛岡ICから約5km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 啄木新婚の家 TEL:019-624-2193 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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