ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでを結ぶのがロマンティック街道(Romantische Straße)です。このロマンチック街道が日本人観光客に人気だったことを受け、昭和62年に誕生したのが日本ロマンチック街道です。すでに誕生から40年ほど経過していますが、さほどネームバリューはありません。
ドイツのロマンチック街道が日本人に人気に!

実は本場ドイツのロマンチック街道、日本人旅行者に人気のルートで、昭和60年時点でアメリカに次ぐ2位の訪問客、平成7年にはアメリカを抜いて1位を獲得しているのです。
もともと、戦後の復興期である昭和25年、沿線の自治体などがロマンチック街道協働団体(Die Romantische Straße zwischen Main und Alpen)を設立したのが、ロマンチック街道の始まり。
アメリカの占領時代、アメリカ兵とその家族に人気だった観光地ということで誕生した観光ルートなので、アメリカ人に人気が高かったのは当然です。
日本から海外への旅行は、ジャンボジェット機の導入を契機とした世界的な航空運賃の値下げ(昭和44年)を背景に、昭和45年頃からロマンチック街道の名が普及するようになります。
旅行代理店がツアーに取り込み、ディズニーの城を思わせるようなノイシュヴァンシュタイン城の印象もあって(ロマン主義の時代を象徴する近世の城)、日本人の人気を高めていったのです。
日本にロマンチック街道が定着したのは、昭和50年代以降で、その頃からガイドブックの内容も充実、メルヘン街道と並ぶ人気ルートとして発展を遂げました。

昭和62年、日本ロマンチック街道が誕生

こうした日本人のロマンチック街道人気を受けて、日本版ロマンチック街道として昭和62年に登場したのが日本ロマンチック街道。
もともとは、当時、草津町観光協会長だった中沢晃三氏が、昭和57年頃から提唱を始めたもの。
中沢氏は、草津温泉をヨーロッパ的温泉リゾートにしようと、温泉保養公園化した中沢ヴィレッジを開業、そのモデルとなったのがドイツのバート・ナウハイム(Bad Nauheim=世界的に有名な温泉リゾート地)だったのです。
中沢晃三氏は沿線の15自治体に呼びかけ、日本版ロマンチック街道の誕生にこぎつけたのです。
翌昭和63年11月25日には、本場ドイツのロマンチック街道と姉妹街道の締結、両方ともに盛り上げようという機運が高まったのです。
日本ロマンチック街道誕生後も、ドイツのロマンチック街道を訪れる日本人は増大しています。
逆に日本ロマンチック街道はどうかといえば、あまりその名が普及したとはいえません。
日本ロマンチック街道がどこからどこまでかを正確に知る人は、むしろ稀有な存在です。
上田城のある長野県上田市を起点に、小諸市(小諸城)、軽井沢を抜け、群馬県草津温泉へ。
さらに沼田を抜けて金精峠を越え、奥日光、さらに日光二社一寺へと栃木県日光市がゴールとなる長大なルートです。
本場ドイツのロマンチック街道が400km、こちらは320kmで距離的には負けていません。
ドイツのロマン主義は、どちらかといえば中世への懐古主義的なものですが、日本ロマンチック街道は、あまりコンセプトがはっきりしないのが難点です。
「日本に於ける最もドイツ的自然景観を持ち、同時に日本ロマン詩人達が多くの作品を残した、日本に於て最もロマンにあふれた街道」というのが売りですが、少しこじつけ的な感じも。
それでも上信越高原国立公園、尾瀬国立公園、日光国立公園を旅するドライブコースで、ドライブするにはおすすめのコースであることにまちがいはありません。
ちなみに、後に韓国にも江原道(カンウォンド)の日本海沿い240kmを結ぶロマンチック街道が誕生、ブラジルにもあるなど、そのスタイルは「海外展開」されています。
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