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観音寺(四国八十八ヶ所霊場第69番札所)

観音寺(四国八十八ヶ所霊場第69番札所)

香川県観音寺市(かんおんじし)にある真言宗大覚寺派の古刹、観音寺(かんのんじ)。観音寺市の市名の由来にもなっている名刹で、四国霊場第69番札所。琴弾山中腹に建ち、同じ琴弾山にある琴弾八幡宮の別当、神宮寺として日証上人により創建されたのが始まり。

室町時代に建築とされる金堂は必見

寺伝によれば、飛鳥時代の大宝年間(701年〜704年)、法相宗 ( ほっそうしゅう=飛鳥時代~奈良時代にかけて広まった宗派)の日証が琴弾山での修行中、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見出し、老人が八幡大明神であることを知った日証は、琴と舟を祀り琴弾八幡宮を創建。
琴弾八幡宮の神宮寺として創建したのが始まりと伝えられています。

平安時代初めの大同2年(807年)、唐から帰朝した空海が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を寺に納めて第7代住職となっています。
そして奈良・興福寺を模して、中金堂(ちゅうこんどう)に聖観世音菩薩像を刻んで本尊とし、寺号を七宝山観音寺と改め、西金堂(さいこんどう)、東金堂(とうこんどう)など七堂伽藍を整備。
仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をし、寺名の神宮寺を七宝山観音寺に改めています。

平安時代初期には桓武天皇はじめ3代の天皇の勅願所となり、室町時代にも足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職となって繁栄しました。

現存する本堂(観音寺金堂)は、大永5年(1525年)、源氏信の寄進を受け建てられたもので、国の重要文化財。
本堂の内部には「常州下妻庄・・・貞和三年・・・」と南北朝時代の貞和3年・正平2年(1347年)に記された落書きがあり、遍路文化の貴重な資料となっています。
藤原時代末期作の木造釈迦涅槃仏像、絹本著色不動明王二童子像も国の重要文化財。

観音院境内からさらに石段を上れば四国八十八ヶ所霊場68番札所の神恵院で、四国霊場唯一の珍しい1寺2霊場となっています。
実は、明治初年の神仏分離までは、1寺2霊場ではなかったのですが、神仏分離、廃仏毀釈の荒波で、68番・神宮寺(琴弾八幡宮)は、琴弾神社(現・琴弾八幡宮)と神恵院に分離。
68番・神宮寺(琴弾八幡宮)の本地仏(本地垂迹説で日本の神の本地とされた仏)を西金堂に遷座し、神恵院を68番の本堂としたため、四国霊場唯一の1寺2霊場となったもの。

ひとつの境内にふたつの札所があるという珍しい構造で、納経も同時にできます。
第69番札所の観音寺境内から、48段の石段を上った場所に神恵院があり、山門には第68番と第69番の2つの寺号が掲げられています。

四国八十八ヶ所霊場 霊場間の距離・時間

68番札所 観音寺・神恵院(香川県観音寺市八幡町1-2-7) — (0km/徒歩すぐ) — 69番札所・観音寺(香川県観音寺市八幡町1-2-7) — (車5km・10分/徒歩4.7km・1時間10分) — 70番札所・本山寺(香川県三豊市豊中町本山甲1445)

観音寺(四国八十八ヶ所霊場第69番札所)
名称 観音寺(四国八十八ヶ所霊場第69番札所)/かんおんじ
所在地 香川県観音寺市八幡町1-2-7
関連HP 観音寺・神恵院公式ホームページ
電車・バスで JR観音寺駅から仁尾バス仁尾行きで10分、観音寺中学校前下車、徒歩8分
ドライブで 高松自動車道大野原ICから約6.6km。さぬき豊中ICから約7.4km
駐車場 高松自動車道さぬき豊中ICから国道11号を南へ2km、本木交差点を右折、県道5号を琴弾公園方面へ4.5km
問い合わせ 観音寺 TEL:0875-25-3871
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

観音寺・神恵院(四国八十八ヶ所霊場第68番札所)

四国八十八ヶ所霊場第68番札所・神恵院(じんねいん)と第69番札所・観音寺は、琴弾山中腹の同じ境内にあり、琴弾八幡宮の別当・神宮寺として日証上人が創建。もともとの第68番札所は神宮寺(琴弾八幡宮)で、現在の神恵院の本堂は観音寺の西金堂でした

本山寺(四国八十八ヶ所霊場第70番札所)

香川県三豊市にある高野山真言宗の寺、本山寺(もとやまじ)。大同2年(807年)、平城天皇の勅願により、空海が一夜にして本堂を建立したと伝わる古刹で、四国八十八ヶ所霊場第70番札所。山号は七宝山、本尊は四国霊場で唯一の馬頭観音。鎌倉時代再建と

 

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