讃岐国分寺跡

741(天平13)年、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により日本各地に建立された国分寺のひとつ。「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」が正式名ですが、一般には讃岐国分寺と呼ばれています。後継寺院の国分寺は、四国八十八箇所霊場の第八十番札所にもなっています。

国の特別史跡となった全国に3ヶ所しかない貴重な国分寺跡

七重の塔があった場所に残る塔跡の礎石
覆屋内部に保存される僧房跡

讃岐国分寺の伽藍跡は、後継寺院の国分寺境内と重なってはいますが、全国に残る国分寺跡の中でも保存状態が良く、境内と周辺一帯は、「讃岐国分寺跡」として国の特別史跡に指定されています。

国の特別史跡となっている国分寺跡は、讃岐国分寺跡のほか、遠江国分寺跡(静岡県磐田市)と常陸国分寺跡(茨城県石岡市)のみ。
いかに貴重な古代遺跡であるかがよくわかります。

讃岐国分寺の創建年は定かではありませんが、『続日本紀』に756(天平勝宝8)年に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記述があるので、天平勝宝8年には讃岐国分寺があったことが判明しています。

発掘調査で判明した奈良時代の寺域は南北240m、東西220mという広大なもの。
現在の国分寺だけでなく、東隣にある宝林寺をも含むのが寺域だったことになります。

大官大寺の伽藍スタイルの寺院跡が現存

伽藍配置石模型
復原された築地塀

伽藍は大官大寺式伽藍配置(藤原京に置かれた大官大寺の伽藍スタイル)で、中門、金堂、講堂が南北一直線上に並び、中門と金堂を回廊で結んだ内側の区画の東南に塔が建てられていました。
金堂前に広い空間を保有したのは、さまざまな行事に対応するため。

現在の国分寺の本堂は奈良時代の講堂跡に建ち、本堂は奈良時代の講堂の礎石を再利用しています。

讃岐国分寺跡は、その一部を史跡公園として復原。
史跡公園には、築地塀が復原、金堂、七重塔などの礎石が保存され、10分の1の縮尺でつくられた伽藍配置石模型などが展示されています。
僧房跡は保存状態がいいため、遺構に覆屋をかけ、建物の一部が復元されています。
金堂跡には総数32個の礎石が往時の位置に現存し、その配列から7間に4間の堂宇があったことが確認されています。
七重塔跡には心礎、四天柱、側柱礎がほぼ往時のままに現存。
方3間で一辺33尺の七重塔が建っていたと推測できます。

また讃岐国分寺跡資料館も隣接し、金堂跡の模型や発掘で出土した遺物(鐙瓦、宇瓦)などを展示。
讃岐国分寺跡資料館では、発掘調査で出土した瓦、土器、金属器などを展示し、讃岐国分寺創建時の金堂模型(1/20)やイラストパネルなどを使ってわかりやすく解説しています。

讃岐国分寺跡
名称 讃岐国分寺跡/さぬきこくぶんじあと
所在地 香川県高松市国分寺町国分2065
関連HP 讃岐国分寺公式ホームページ
電車・バスで JR国分寺駅から徒歩6分
ドライブで 瀬戸中央自動車道坂出ICから約12km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 讃岐国分寺跡資料館 TEL:087-874-8840/FAX:087-874-8840

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