奥州街道で最も「難読の宿場」は、喜連川宿!

五街道のひとつで日本橋から白河(福島県白河市)へ至るのが奥州街道(奥州道中)。宇都宮宿までは日光街道と重複で、27の宿場が設置されていました。そんな奥州街道で最も「難読の宿場」は、喜連川宿(きつれがわしゅく)。関東圏の人や、温泉ツウなら読めるかもしれませんが、それ以外の人にはかなり難読でしょう。

江戸時代には喜連川藩の藩庁も

喜連川宿の鎮守、喜連川神社

栃木県さくら市にある喜連川宿は、宇都宮で日光街道を分け、その先の白沢宿から白河までが本来の奥州街道(奥州道中)となります。
宇都宮宿を出ると、白沢宿、氏家宿(うじいえしゅく)と続き、その先が喜連川宿となります。

あまり知られていませんが、喜連川藩(きつれがわはん)の藩庁、喜連川陣屋があり、代々、喜連川家が藩主を務めていました。
わずか5000石という小藩で、大名とはいえない石高ですが、喜連川家は足利尊氏(あしかがたかうじ)の四男・足利基氏(あしかがもとうじ=初代・鎌倉公方)の後裔という家柄で、10万石格の大名として君臨していました(明治維新後は華族となり足利姓に復姓)。

もともと足利氏だったのがなぜ喜連川姓となったのかは、豊臣秀吉が小田原征伐後、足利氏の断絶を憂いて、古河城の足利氏姫(あしかがうじひめ=関東公方の末裔である古河公方・足利義氏の娘)を足利国朝(あしかがくにとも)に嫁がせ、喜連川姓を名乗らせたため。

関東公方の復興を果たし、関東に入封した徳川家康を監視する役割を担ったという説もありますが定かでありません。

いずれにしろ、もともと喜連川という地名があり、そこに戦国時代末に喜連川氏が生まれ、江戸時代に街道の整備で宿場が設置されたということに。

喜連川神社が宿場の鎮守

道の駅きつれがわ

喜連川の地名は、もともとこの地を流れる荒川の俗称が狐川(きつねがわ)だったのを、足利氏が喜び連ねる川という縁起が良い名に転じたからといわれています。
古文書では、寛正6年(1465年)に狐河、天文5年(1536年)に喜連川なので、戦国時代に生まれた地名なのかもしれません。
さくら市は、足利国朝の喜連川入りで喜連川姓を名乗り、地名が定まったとしています。

現在の喜連川宿には、一帯の総鎮守である喜連川神社があり、街道から少し外れた国道293号(バイパス)沿いの「道の駅きつれがわ」が観光拠点として機能しています。
喜連川神社は、戦国時代に尾張国・津島牛頭天王宮(現在の愛知県、津島神社)から牛頭天王(ごずてんのう=祇園精舎の守護神で厄除けの神様)を勧請し、喜連川氏も尊崇した一帯の総鎮守社です。

奥州街道は宿場南側を流れる荒川(狐川)を連城橋で渡って宿場に入り、北を流れる内川を金竜橋で渡っています。
本陣・脇本陣跡近くには「和い話い広場」(旧喜連川興行銀行本店)が目印になっています。

ちなみに、温泉ファンに喜連川の名が知られるのは、喜連川温泉が日本三大美人湯に数えられているからです。

「和い話い広場」(旧喜連川興行銀行本店)
「和い話い広場」(旧喜連川興行銀行本店)
奥州街道で最も「難読の宿場」は、喜連川宿!
名称 喜連川宿/きつれがわしゅく
所在地 栃木県さくら市喜連川
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