鎌倉に唯一残る尼寺が英勝寺。寛永13年(1636年)、徳川家康の側室、お勝の方(英勝院)が開いた寺で、お勝の方の祖先・太田道潅(おおたどうかん)の屋敷跡に建てられています。水戸徳川家の姫君が代々住職を務めたという名刹で、通用門に残る徳川家の「三葉葵」と太田家の「桔梗」(ききょう)の2つ家紋がルーツと格式を物語っています。
鎌倉に唯一残る尼寺は、家康の側室・英勝院の創建
境内に咲く花の種類も多く、梅、桜、白藤、ツツジ、萩などのほか、紅葉の季節も美しく、カメラマンにも人気です。
花が絶えない庭園や見事な竹林の中庭などは三脚の使用は厳禁。
境内には「やぐら」と呼ばれる四角い洞穴がありますが、これらは鎌倉から室町時代に葬られた僧侶や武士などの墓。
お勝の方(英勝院)建立で、水戸藩初代藩主・徳川頼房(とくがわよりふさ=徳川家康の十一男、徳川光圀の父)修築の仏殿は、神奈川県の文化財。
精巧な細工が施された唐門、英勝院を祀る祠堂、近世の鎌倉では唯一袴腰付の鐘楼も神奈川県の文化財に指定されています。
法要などの際は拝観不可なので注意。
徳川光圀が命じて編纂した『新編鎌倉志』全8巻12冊ですが、ベースは光圀自身の鎌倉滞在で、この英勝寺を拠点に周辺を探訪しています。
江戸城を築いた太田道灌を輩出した太田家は、扇谷上杉家(鎌倉公方を補佐する関東管領上杉氏の一族)に仕えており(上杉管領屋敷は現在の扇ガ谷2-3一帯にあった)、山門前には「太田道灌邸旧蹟」碑が立っています。
ちなみに、太田道灌が、古河公方側の有力武将だった房総の千葉氏を抑えるために築いたのが江戸城で、その江戸城を大改造したのが徳川家康です。
太田道灌と徳川家康の不思議な縁が、この英勝寺で結ばれています(ただし、英勝院の出自については定かでありません)。
英勝寺 | |
名称 | 英勝寺/えいしょうじ Eishoji Temple |
所在地 | 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-6-13 |
関連HP | 鎌倉市公式ホームページ |
電車・バスで | JR鎌倉駅西口から徒歩10分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約6.5km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 英勝寺 TEL:0467-22-3534 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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