太閤石風呂

太閤石風呂

神奈川県足柄下郡箱根町底倉、宮ノ下を流れる蛇骨川の左岸にある岩盤をくり抜いた石風呂が、太閤石風呂(たいこうのいわぶろ)。縦1m、横3mほどの岩穴に、天然の温泉が湧いています。豊臣秀吉が天正18年(1590年)の小田原攻めの際に、小田原攻めの最中に秀吉が家臣を連れて入浴したという伝承があります。

豊臣秀吉が入浴したと伝わる岩風呂

風呂とはいえ現在、入浴はできず、渓流部分には道もないので、対岸の車道沿いから眺めるだけ。
太閤石風呂から3分ほど下った場所には、落差10m、幅3mの太閤の滝が懸かっています。

温泉療養に熱心に取り組んだ豊臣秀吉は、天正11年(1583年)に有馬温泉を訪れて以降、再三有馬温泉を訪れ、慶長元年(1596年)には病中の徳川家康に草津の湯の特効を教え、湯治を奨めるなど温泉の効能に着目していたことがうかがえます。
この岩風呂、もともとは「瀬戸の湯」と呼ばれていた天然の湯船で、秀吉が入浴したため、太閤石風呂と呼ばれるように。

その後、江戸時代に地震で埋没しましたが、文化年間(1804年〜1818年)に熊野権現のお告げで地元の人々によって再び掘り出されています。

太閤石風呂のある蛇骨渓谷(じゃこつけいこく)は、ナトリウム-塩化物泉が多数湧き出す、蛇骨湧泉群として知られ、温泉に含まれるケイ素が沈着してできた硅花(ケイ素化合物)が湧出口に白く結晶化し、蛇の骨のように見えることが名前の由来。
この蛇骨湧泉群を源泉とするのが箱根七湯に数えられる底倉温泉です(底倉温泉の源泉は、大部分が自然湧泉)。
江戸時代に編纂されたガイドブック『箱根七湯の枝折』には、 当時、梅屋、蔦屋、万屋、住吉屋の4 軒の湯宿があり、温泉は「味気至 而鹹し(しほはゆし) 熱湯なり」と記されていることから、塩辛い熱湯が湧出していることがわかります。

ナトリウム-塩化物泉は塩が持つ殺菌作用により、切り傷にも効くので、戦国武将はそうした伝統的な効能にも着目していたのかもしれません(ただし、当時は湯船に浸かるよりもサウナ的な利用法が一般的でした)。

太閤石風呂
名称 太閤石風呂/たいこうのいわぶろ
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町底倉
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス桃源台・仙石方面行きで12分、ホテル前下車、徒歩5分
ドライブで 小田原厚木道路箱根口ICから約9km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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