白州灯台

北九州市の沖合、日本海に浮かぶ藍島(あいのしま)の西2kmにある岩礁、白州(しらす)に建つのが白州灯台。幕末に小倉藩海上御用掛難破船支配役・岩松助左衛門が灯台の建設を決意し、明治政府が引き継いで明治6年に初点灯したのが初代の木造灯台。現在の灯台は、明治33年築の2代目で、日本の灯台50選に選定。

関門海峡に西側にある巨大な暗礁に建てられた歴史的灯台

1804(文化元)年、豊前国企救郡長浜浦(現・北九州市小倉北区長浜町11-4)に生まれた岩松助左衛門は、庄屋を40年間務めたのち、小倉藩の海上御用掛難破船支配役となり、1862(文久2)年、響灘沖で海難事故が起きないようにと白州という浅瀬(長さ140m・幅100m)に灯台(灯籠台)の建設をと、小倉藩に白洲灯籠台築立願を提出。
募金を募り、自らも私財を投げうって灯台建設を開始。
近隣漁民の反対などにあいながら、明治3年、基礎工事ができた段階で、明治政府へと工事が移管されました(明治5年、岩松助左衛門没/墓は小倉北区京町4丁目の西顕寺)。

小倉城内には、初代の白州灯台を模した岩松助左衛門翁顕彰櫓が建っています。

現存する2代目の灯台は、下部が石造り、そして上部が鉄でできています。
塔高は16.7m、灯火標高は16mで、光達距離は8海里(約17km)となっています。

建設当初、白帆と誤認する事件が起こったため、明治9年、白黒のツートンカラーに塗り替えられました。
この白黒塗装は、日本における最初のツートンカラーの塗り分けで、「雪の時に見づらい」という理由ではなく、白い帆と見間違えないようにという理由に注目を。

白州灯台
名称 白州灯台/しらすとうだい
Shirasu Lighthause
所在地 福岡県北九州市小倉北区藍島
白洲灯台・岩松翁顕彰櫓

白州灯台・岩松翁顕彰櫓

2018年10月15日

 

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