『小樽のひとよ』歌碑

『小樽のひとよ』歌碑

昭和42年9月25日に発売された鶴岡雅義と東京ロマンチカのデビュー曲が『小樽のひとよ』。累計売上は150万枚を超える大ヒット曲ですが、北海道小樽市の小樽運河散策路に『小樽のひとよ』歌碑が築かれています。ご当地ソングの多い、小樽市ですが、『小樽のひとよ』はその代表格になっています。

モチーフとなった話の舞台は釧路だった!

『小樽のひとよ』歌碑

作詞は池田充男(いけだみつお)、作曲は鶴岡雅義と東京ロマンチカのリーダー・鶴岡雅義(つるおかまさよし)。
実は、この曲、本当の舞台は釧路で、釧路のキャバレーに出演していた際、地元の女性と恋仲となった鶴岡雅義と東京ロマンチカメンバー・有沢幸男(エレクトリックギター担当)の実体験をベースに、鶴岡雅義がまず曲を作り、茨城県岡田村(現・牛久市東猯穴町)出身の池田充男に作詞を依頼しました。
当時、東京と釧路は今のように飛行機でひとっ飛びというわけには行かず、遠い世界で、結局この恋は実ることがありませんでした。

昭和39年、新宿の音楽喫茶でレキントギターを弾いていた(ラテン音楽)鶴岡雅義の技と人柄に惚れ込み、交友が始まっていました。
鶴岡雅義は、古賀政男に師事し、古賀ギター歌謡学院で講師をしていた阿部保夫にギターを学び、トリオ・ロス・カバジェロス(ラテングループ)を結成していたのです。
その夜、同行したディレクター志茂忠男に「なにか詞を鶴岡に渡して」と依頼され、タバコの空き箱に書いたのが『二人の世界』(映画『二人の世界』主題歌、石原裕次郎が歌って大ヒット)の原型でした。

こうして新宿の音楽喫茶で偶然に生まれた池田・鶴岡コンビの、大ヒットが『小樽のひとよ』。
ヒットを受けて『旅路のひとよ』、『星空のひとよ』の「ひとよ三部作」が生まれています。

この釧路での悲恋物語を結成間もない東京ロマンチカのデビュー曲にしようと考えた、鶴岡雅義。
それを受けて、釧路の恋愛物語の舞台を小樽に移したのも池田充男。
当初は『粉雪のラブレター』というタイトルで、その後、『小樽のひとよ』に改題されています。

平成18年に小樽運河散策路に「小樽・後志、北の故郷を唄う市民歌謡祭2006事業の一環」で設置された横138cm・高さ70cm・縦2.5cmのブロンズ製の歌謡プレートが『小樽のひとよ』歌碑(歌謡プレートの除幕式には鶴岡雅義、池田充男の出席)。
「小樽観光の中心的な場所に設置してもらい、長い人生の中で記念すべき日となりました」(鶴岡雅義)
「『小樽のひとよ』は、小樽の人々に愛され、暖かく育てて頂きました。こんな嬉しいことはありません」(池田充男)


小樽運河散策路には、『小樽のひとよ』と50mほど離れて石原裕次郎の『おれの小樽』(作詞:杉紀彦、作曲:弦哲也)の歌碑(歌謡プレート/「小樽・後志ハエヌキ音楽祭」2007実行委員会が設置)もあり、情緒ある小樽の証(あかし)にもなっています。

『小樽のひとよ』歌碑
名称 『小樽のひとよ』歌碑/『おたるのひとよ』かひ
所在地 北海道小樽市色内1-2-17地先
電車・バスで JR小樽駅から徒歩10分
ドライブで 札樽自動車道小樽ICから約2.7km
駐車場 港湾部前観光駐車場(88台/有料)
問い合わせ 小樽観光協会 TEL:0134-33-2510
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

小樽運河

大正3年から、小樽の沖合を埋立ておよそ9年の歳月をかけて造られた全長1314m、幅40mの運河。港外に停泊した大型船から艀(はしけ)で貨物を輸送するシステムで、そのために運河沿いには石造倉庫が並んでいます。港の埠頭(ふとう)岸壁の整備で本来

 

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