尾高観音(尾高山観音堂)

尾高観音(尾高山観音堂)

三重県三重郡菰野町、釈迦ヶ岳(1091.9m)の麓、幽玄とした森の中にあるのが尾高観音(尾高山観音堂)。尾高観音と通称されていますが、正式名は尾高山観音堂で浄土宗の寺。杉並木の奥にある六角堂には聖徳太子の作といわれる十一面千手観世音菩薩(本尊)が安置され、縁結びの仏様として信仰されています。

美しい杉木立を抜けると六角堂が!

尾高観音(尾高山観音堂)
美しい杉木立の先に観音堂が!

寺伝によれば、開基は古く、持統天皇(687年~696年)の頃、藤原京近くにあった大官寺(現・大安寺)の諸菩薩のなかから、十一面千手観世音菩薩を迎えて祀ったのが始まり。
後に平安京への遷都を行なった桓武天皇(かんむてんのう)は堂宇を建造し、尾高山引接寺(いんじょうじ)の勅号を下賜。
平安時代初期の延暦年間(782年〜ら806年)に最澄の弟子・澄光上人が、近江の豪族・佐々木六角家の庇護を受けて現在の地に仏庵を移し、長寛元年(1163年)、豪族・藤原養敬が七堂伽藍を整備したと伝えられています。

中世に引接寺は、伊勢西国三十三ヶ所の二十五番目の札所として栄えましたが、永禄11年(1568年)、織田信長の伊勢侵攻の際の兵火で焼失。
江戸時代には桑名藩の藩領となり、桑名藩主の菩提寺、浄土宗照源寺の末寺になりました。

明治の廃仏毀釈で、無住の寺は廃寺となりましたが、明治20年、慈眼寺として復興、慈眼寺奥の院となって尾高観音(尾高山観音堂)が守られてきました。
現存する本堂(六角堂)は、文化12年(1815年)、地元・杉谷の宮大工・増田兵蔵の建立。
5尺8寸(1.7m)という等身大の本尊・十一面千手観世音菩薩の開扉は、4月上旬の土・日曜の2日間に限定。
背後の尾高山へは、寺から行者コースなどの歩道が整備され、展望台も整備されています。
一帯は、尾高高原と通称され、尾高高原キャンプ場があります。

尾高観音(尾高山観音堂)
名称 尾高観音(尾高山観音堂)/おだかかんのん(おだかさんかんのんどう)
所在地 三重県三重郡菰野町杉谷尾高2291-2
関連HP 菰野町公式ホームページ
ドライブで 新名神高速道路菰野ICから約6km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 菰野町教育委員会事務局 TEL:059-391-1160/FAX:059-391-1195
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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