神奈川県箱根町、元箱根の旧街道杉並木の途中、杉並木歩道橋近くに置かれた石碑が、ケンペルとバーニーの碑。箱根にゆかりのあるケンペルとバーニーの功績を顕彰したもの。箱根の自然の美しさとその保全の重要さを世界に訴えた箱根の恩人ということで、碑前で『ケンペル・バーニー祭』が4月に行なわれています。
傍らには大正11年建立のバーニーの碑も
エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kämpfer)はドイツ人の博物学者で、長崎のオランダ商館の医師。
オランダ商館長の江戸参府、いわゆる甲比丹(かぴたん)行列に加わり元禄4年(1691年)とその翌年に箱根山を越えています。
鎖国時代の日本では、オランダ商館長の江戸参府は、外国人が日本国内を見物する唯一の機会となっていました。
しかもオランダ商館長の江戸参府に同行できるのは、商館長のほか、書記官と医師の3名に限られていました。
その江戸参府も山陽道、東海道の街道筋以外に足を伸ばすことは禁じられていたので、標高800mを超える箱根越えは、貴重な動植物採取のチャンスだったわけです。
日本の植物に分類学の光を当てたケンペルは後に『日本誌』(Geschichte und Beschreibung von Japan)を著していますがが、箱根でも植物や魚類に関する調査を行なっています。
19世紀後半、ヨーロッパで流行したジャポニスム(Japonisme)の原点は『日本誌』がフランス語などに訳されたのがきっかけ。
シーボルトにも強い影響を与えています。
シリル・モンタギュー・バーニーは明治21年に来日、芦ノ湖畔に別荘を築いたオランダ人の貿易商で、箱根の自然をこよなく愛しその自然を永遠に残そうと呼びかけたのです。
バーニーは、「この祖国をば、さらに美しくして、啓等の子孫に伝えよ」というケンペルの『日本誌』の序文を引用し、自然保護を啓蒙する石碑を、大正11年に元箱根の別荘に立てています(交通量が多い場所だったため昭和51年に杉並木途中に移設)。
その傍らに(右側に)ふたりを顕彰するケンペルとバーニーの碑が建立されています。
バーニーの碑 碑文
西暦千七百二十七年 中御門天皇 享保十二年四月二十一日 倫敦に於て出版せられたるケンピア氏著
日本史序文に曰く
本書は隆盛にして強大なる帝国の歴史なり本書は勇敢にして不屈なる国民の記録なり其人民は謙譲勤勉
敦厚にして其の拠れる地は天恵に富めり
新旧両街道の会合する地点に立つ人よ此光栄ある祖国をば更に美しく尊くして卿等の子孫に伝えられよ
-箱根にて-
大正十一年吉日
於扇港(注/扇港=神戸港) 無外居士書(注/バーニーの筆名)
名称 | ケンペルとバーニーの碑/けんぺるとばーにーのひ |
所在地 | 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 |
関連HP | 箱根観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス、伊豆箱根バス箱根町行きで33分、元箱根下車、徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 箱根町総合観光案内所 TEL:0460-85-5700/FAX:0460-85-5721 |
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