港二号橋梁(汽車道)

港二号橋梁(汽車道)

明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で製作され、明治42年に鉄道院によって架橋されたもの。

かつてはこの鉄橋を貨物列車や外洋航路の旅客を乗せた客車が走った!

2つの人工島と3本の橋梁で結ぶ構造になっていて真ん中の橋が港二号橋梁。
横浜臨港線は生糸の輸出などの全盛だった明治時代に建設された貨物線でしたが、大正9年からはサンフランシスコ航路の出航日に限り、旅客列車(ポートトレイン)が運転されていました。
昭和35年8月27日の氷川丸のシアトル行きの最終航海時が、旅客列車(ポートトレイン)の最終運転です。

港二号橋梁は、100フィートの鋼トラス橋で、「『貿易立国の原点』 横浜港発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産にも認定されています。

港二号橋梁(汽車道)
名称港二号橋梁(汽車道)/みなとにごうきょうりょう(きしゃみち)
Minato No.2 Bridge
所在地神奈川県横浜市中区新港2
関連HP横浜市観光情報公式サイト
電車・バスでJR桜木町駅から徒歩5分
ドライブで首都高速横羽線みなとみらいランプから約500m
駐車場横浜ワールドポーターズ駐車場(1000台)など周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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