豊玉の猪垣

豊玉の猪垣

長崎県対馬市豊玉町横浦、対馬(つしま)の山中に築かれた不思議な石積み(石塁)が、豊玉の猪垣(とよたまのいがき)。高さ1.1m、上幅0.6m、基部幅1.2mの石垣が全長240mにわたって構築されています。対馬では唯一の石垣で、対馬藩による猪鹿追詰(いじかおいつめ)の遺構とも伝えられますが定かでありません。

玄武岩を野面積みにした石塁は、今もその目的は謎

江戸時代中期、対馬藩の儒学者・陶山鈍翁(すやまどんおう)は、対馬の農業守るため猪の壊滅計画を立て、猪鹿追詰を実行します。
対馬全島を9区域に分け、柵を築いて1区ずつ全滅させる方法で、毎年1万頭ほどの猪を捕獲、9年の歳月を費やし、ついに宝永6年(1709年)、ほぼ生息数はゼロとなったのです。
5代将軍徳川綱吉により生類憐れみの令の出されていた時代のため、切腹を覚悟の大胆な事業でした。

中世の山城説、斎垣(いがき)説もありますが、西彼杵半島や福江島、中通島、久賀島など五島列島各地に残存する猪垣に、構造がよく似ているので共同防災用、狩猟用に築かれたものだと推測できます。

ただし猪や鹿などを追い詰めるのための牆(かきね)であるならば、木柵で用が足りるので、頑強で恒久性のある玄武岩を使って石塁を築く必要はないという人もいます(ただし、大規模な追い詰めのために築いたという説も)。
そのため、近年では中世から近世にかけて馬を放牧した長崎牧の遺構だとする説もあります。

国道382号から分かれ、塩浜へと続く山越えの車道途中に入口があり、少し歩けば豊玉の猪垣に到達できます。

豊玉の猪垣
名称 豊玉の猪垣/とよたまのいがき
所在地 長崎県対馬市豊玉町横浦
ドライブで 対馬空港から約21km
問い合わせ 対馬市教育委員会文化財課 TEL:0920-54-2341
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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