神奈川県川崎市多摩区、多摩川の堤一帯を利用した川崎市営の公園が稲田公園。京王相模原線の多摩川橋梁のすぐ東側(下流側)に位置し、多摩川河川敷には少年野球場、桜の園、せせらぎ、稲田児童プールなどが整備されています。稲田公園は、かつての「稲田堤の桜」を偲ばせる貴重な場所にもなっています。
別名「クジラ公園」と呼ばれる公園
明治31年に日清戦争の戦勝を記念し、多摩川堤防の補強を目的に、地元・菅村の人々が総出で、中野島境・上河原堰堤から矢野口の境に至る土堤に251本のソメイヨシノの苗木を植栽。
さらに、大正6年にも325本を追加で植栽し、大正時代〜昭和初頭の最盛期には2000本の桜が植えられ、「稲田堤の桜」として、東京の上野、飛鳥山、小金井と並ぶ桜の名所となっていました。
また、対岸の東京都側とは菅の渡しが昭和48年まで運航され、多摩川で最後まで残っていた渡し船として注目を集めたことも。
稲田公園は、昭和46年、100本ほどの桜を植栽して開園。
まさに「稲田堤の桜」の歴史を受け継ぐ公園になっているのです。
総面積は2.2haで、シンボルマークの「くじらのオブジェ」近く、遊具の置かれた場所が一番のお花見スポット。
古賀メロディー『丘を越えて』が生まれたのは稲田堤!?
昭和6年に発売され、藤山一郎が歌って大ヒットした『丘を越えて』。
古賀政男が『ピクニック』というタイトルで明治大学マンドリン倶楽部のマンドリン合奏曲として作曲した楽曲に、早稲田出身で若山牧水に短歌を学んだ島田芳文が歌詞をつけたのが『丘を越えて』。
昭和4年春、古賀政男(この年大学を卒業、6月の明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で『影を慕いて』を発表)が明治大学マンドリン倶楽部(大正12年創部)の後輩と稲田堤へピクニックに行き、下宿に戻った際、学帽に付いた一枚の桜の花びらに着想を得て誕生したのが『ピクニック』なので、稲田堤は戦前の大ヒットソング『丘を越えて』誕生の地にもなっているのです。
『丘を越えて』歌碑が群馬県長野原町北軽井沢の浅間牧場にあるのは、島田芳文が浅間牧場をモチーフに作詞したから。
JR南武線稲田堤駅、京王稲田堤駅に近い「菓聖 はしば」では、「丘を越えて」と名付けられた和菓子(饅頭)も販売されています(「かわさき名産品」に選定)。
稲田公園 | |
名称 | 稲田公園/いなだこうえん |
所在地 | 神奈川県多摩区菅稲田堤2-9-1 |
関連HP | 川崎市公式ホームページ |
電車・バスで | JR稲田堤駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 多摩区役所道路公園センター TEL:044-946-0044 |
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