菊屋横丁

菊屋横丁

山口県萩市、呉服町〜南古萩町の間、290mほどの道(萩市道春若町南片河線)の通称が菊屋横丁(菊屋横町)。かつて参勤交代で藩主が通った「御成道」(おなりみち)を北限とする3本の小路のひとつで、「日本の道100選」にも選定。通りの名は、脇に建つ萩藩(長州藩)を支えた豪商、菊屋家に由来しています。

なまこ壁(土塀)が圧倒的な美しさで迫る!

菊屋横丁

御成道に面して藩の豪商、菊屋、江戸屋、伊勢屋、商家が並んでいたため、城下町にある3本の横丁にはそれぞれの名が付けられ、菊屋横丁、江戸屋横丁、伊勢屋横丁と呼ばれています(なかでも菊屋はその筆頭です)。
萩藩(長州藩)御用達の豪商・菊屋の名を頂く横丁は、片側ほぼ全体が菊屋の土蔵と土塀。
菊屋家のなまこ壁の長い塀が続く坂道の反対側には、萩焼のギャラリーや店舗が点在。

途中には、「奇兵隊」を組織した、萩藩士・高杉晋作旧宅(高杉晋作生誕の地)、第26代総理大臣・田中義一の生誕の地もあり、萩城下散策の必踏ポイントのひとつになっています。

城下町・萩の街路には250もの名が!

萩の城下町は、三角州中央付近に玄武岩の石柱を立ててこれを町割りの基準点とし、町割りにあたっては、いくつかの基準となる街路をまず設定。
それを基準に縦横の街路を築いていきました。

現在、萩三角州内に確認できる街路名だけで250を数えますが、複雑で数多い街路を識別するために、街路名を付けたのだと推測できます。
多くの街路名は、檜皮町(ひわだちょう)、小道具町(こどうぐちょう)、鍛治屋町(かじやちょう)、飴屋町(あめやちょう)、紙屋町(かみやちょう)などそこに住む職業を表すものが多いのですが、呉服町(当初は御福町)部分の御成道に直行する3本の道には、菊屋、江戸屋、伊勢屋の名を採った街路名が付けられています(豪商・菊屋家は菊屋横丁と江戸屋横丁に挟まれています)。

菊屋横丁
名称 菊屋横丁/きくやよこちょう
所在地 山口県萩市呉服町1丁目〜南古萩町
関連HP 萩市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りで20分、萩城外堀入口下車、徒歩5分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約45km
駐車場 中央公園駐車場(146台/有料)
問い合わせ 萩市観光課 TEL:0838-25-3139
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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