東京湾に浮かぶ唯一の無人島(台場などの人工島を除く)が、神奈川県横須賀市の猿島。第二次世界大戦までは東京湾要塞の猿島砲台のあった島で、立ち入りが禁止されていたためもあって、豊かな自然が残されています。その最高所にあるのが、猿島防空指揮所(猿島防空監視所)跡です。
昭和16年、首都圏防衛の高射砲陣地を設置
島全体が軍事要塞化した猿島には、レンガ造りのトンネル、武器庫、砲台などが配置されていますが、外見上は緑の島で、そこに要塞が隠されていることには気が付きません。
猿島砲台は、東京湾要塞に属する沿岸砲台として陸軍が建設を開始、明治17年月30日に竣工しているので、当初は清国(中国)の北洋艦隊(ほくようかんたい)襲来に備えての構築。
明治28年、日清戦争での黄海海戦などで北洋艦隊が撃破された後は、ロシアのバルチック艦隊の襲来しますが、日露戦争後の大正14年、関東大震災の被害を受けた猿島の要塞を放棄(艦船の砲撃から守備する必要性がなくなりました)。
その後、海軍が横須賀軍港を守備する要衝として防空砲台を設置。
昭和16年、首都圏防衛の高射砲陣地となり、8cm高角砲4門、12.7cm連装高角砲2基4門、そして探照灯(サーチライト)を装備し、その中心に猿島防空指揮所が配置されたのです。
現存するコンクリート造りの遺構の正式名は猿島防空指揮所(海軍防空砲台時代の監視所)でコンクリート造り2階建て(地下1階地上1階塔屋付き)。
現在は展望広場の一角にあり、近年までは展望台としても使われていました(現在は立ち入り不可に)。
戦時下では周囲に木を茂らせ、敵機、敵艦船からも単なる緑茂る山に見えるようにカモフラージュしていただろうと推測できます。
高射砲の射程は8000m、つまりB29が高度1万mを飛べば、射程外ということに。
昭和20年8月30日、連合軍のイギリス兵が上陸、白旗を振る3名の日本軍兵士がそれを出迎えて、武装解除となり、長い要塞の歴史に幕を閉じました。。
猿島への渡船(当初は釣りなどの目的)が始まったのは昭和22年、その後、昭和32年に桟橋横に海水浴場がオープンし、観光の島として注目が高まっていったのです。
平成7年から国営地の猿島を横須賀市が委託管理となり、島全体の公園化整備事業が進んでいます。
猿島防空指揮所(猿島防空監視所)跡 | |
名称 | 猿島防空指揮所(猿島防空監視所)跡/さるしまぼうくうしきじょ(さるしまぼうくうかんしじょ)あと |
所在地 | 神奈川県横須賀市猿島 |
関連HP | トライアングル公式ホームページ |
電車・バスで | 京急横須賀中央駅から徒歩15分、または、JR横須賀駅から徒歩30分で三笠桟橋。三笠桟橋から猿島渡船で10分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路横須賀ICから約3kmで三笠桟橋。三笠桟橋から猿島渡船で10分 |
駐車場 | 三笠公園駐車場(80台/有料) |
問い合わせ | スカナビi (横須賀観光インフォメーション) TEL:046-822-8301(9:00~17:00)/トライアングル TEL:046-825-7144 |
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