神奈川県横須賀市西浦賀1丁目、浦賀港の東西を結ぶ浦賀渡船(公営渡船)の西渡船場の南(東京湾寄り)にある桟橋が、陸軍桟橋。太平洋戦争終了後に、引揚者56万人が上陸、帰還したという歴史的な場所です。あまり知られていませんが浦賀港の引揚を歴史に刻む地として、浦賀港引揚記念の碑も設置されています。
東日本では浦賀港が最大の引揚港として機能

端野いせをモデルにした映画、そしてヒット曲『岸壁の母』で有名な舞鶴港。
ソ連・ナホトカ港などからの引揚者は、67万を数え、引揚者といえば舞鶴港のイメージが強くあります。
ところが、浦賀港は、南方からの引揚者56万人が上陸した、その数では浦頭港139万6000人、博多港139万人、舞鶴港に次いで全国4位という引揚者上陸港、東日本ではダントツの港となっているのです(5位は山口県・仙崎港で41万人)。
浦賀港も引揚指定港となり、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れているのです。
昭和21年には華南方面からの引揚船の船内でコレラが発生。
引揚者は、疲労困憊の極限、栄養失調の状況だったため、疫病が蔓延する事態に。
20隻が海上隔離のために沖合停泊、隔離者は7万余人を数えたのです。
そのまま下船させると、首都圏に疫病が大流行することになるため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に収容することにしたのです。
コレラの患者数は483人、うち72人が没しています。
浦賀港が選ばれたのは、首都圏にありながらこうした軍事関係の施設(太平洋戦争中に完成した陸軍桟橋、海軍工作学校、浦賀船渠鴨居工員宿舎、陸軍重砲兵学校)があり、隔離することもできるので受け入れやすかったからだと推測できます。
戦争が終わって以降も、船内や病院で亡くなる悲劇が多数あり、久里浜の長安寺には、引取手のない遺骨を供養するため浦賀援護局が建立した「浦賀引揚援護局引揚者精霊塔」が立っています。
さらに旧海軍対潜学校跡地にある久里浜少年院の構内には、コレラで死亡した人霊を弔う供養塔が残されています。
L字型の陸軍桟橋周辺は、西浦賀みなと緑地として整備され、親水護岸、ボードウォークで海沿いの散策も可能。
享保6年(1721年)に江戸湾に出入りする船を監視した船番所が設けられた地が、時を経て、南方からの引揚港になったというわけです。

| 海外引揚者56万人が上陸! 浦賀港・陸軍桟橋 | |
| 名称 | 浦賀港・陸軍桟橋/うらがこう・りくぐんさんばし |
| 所在地 | 神奈川県横須賀市西浦賀1-12-3 |
| 関連HP | 横須賀市公式ホームページ |
| 電車・バスで | 京急浦賀駅から京急バス久里浜駅行きで5分、紺屋町下車、徒歩3分 |
| 駐車場 | なし |
| 問い合わせ | 陸軍桟橋管理事務所 TEL:046-822-4022 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |























