三菱財閥を創始した岩崎弥太郎(岩崎彌太郎)は、天保5年12月11日(1835年1月9日)、土佐国安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)に生誕。生家は現在も岩崎家の所有で、無料で公開されています。瓦に残る家紋の三階菱と土佐藩主山内家の家紋(三ツ柏)をもとに、現在の三菱のスリーダイヤが誕生(三階菱とは関係がないという説も)。
三菱財閥を創始した岩崎弥太郎の生家
現存する生家は、岩崎弥太郎の曽祖父・弥次右衛門が郷士(ごうし=農村に土着した武士)の株を売って寛政7年(1795年)頃に建てたもの。
建坪は30坪、藁葺きの平屋で、表側に8帖、その脇に4帖半2間、茶の間9帖という造りで、風呂と便所は別棟。
弥太郎が生まれた頃の岩崎家は、生活に困り地下浪人へと没落していましたが、江戸に遊学し、安積艮斎(あさかごんさい)の見山塾に学び、24歳の時には初めて藩に取り立てられて半年におよぶ長崎出張を経験します。
32歳で土佐藩開成館長崎商会の主任になり、海外貿易の担当として手腕を発揮、維新後の明治3年、土佐藩から藩船3隻を借り受け、大阪に三菱創業となる九十九商会(つくもしょうかい)を設立。
明治10年の西南戦争で、政府軍の海上輸送を担い、三菱財閥発展の基礎を築いています。
岩崎家は甲斐武田の末裔だとされ、家紋も武田菱に由来する「三階菱」。
明治6年頃に九十九商会が三菱商会となった際に、スリーダイヤが生まれていますが、その誕生の由来は、実は定かではありません。
岩崎弥太郎生家前には、昭和60年に生誕150年を記念して建立された岩崎弥太郎銅像(像高3.3m、台座1.1m)が置かれています。
岩崎弥太郎と坂本龍馬
坂本龍馬とは後藤象二郎の叔父・吉田東洋(よしだとうよう)の私塾で出会い、交流もあったため、平成22年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』では、岩崎弥太郎の視点で龍馬が描かれています。
岩崎弥太郎は、坂本龍馬の海援隊の会計を担当していたこともあり、意外に、2人の接点は多いのです。
慶応3年(1867年)、日本初の商社といわれる亀山社中(かめやましゃちゅう)で成功を収めていた坂本龍馬と長崎の清風亭で会談。
坂本龍馬が示した船中八策は土佐藩主を通して、15代将軍・徳川慶喜に上申しますが、それを実現したのも岩崎弥太郎です。
長崎での龍馬との交流は短い期間でしたが、岩崎弥太郎が海運業に着目する原点が生まれています。
岩崎弥太郎生家 | |
名称 | 岩崎弥太郎生家/いわさきやたろうせいか |
所在地 | 高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮 |
関連HP | 安芸市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 高知自動車道南国ICから約35km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 安芸観光情報センター TEL:0887-34-8344 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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