宝台院

宝台院

静岡県静岡市葵区常磐町2丁目、2代将軍・徳川秀忠を生んだ西郷局(さいごうのつぼね)の菩提寺が、宝台院。永正4年(1507年)、鎌倉の浄土宗のお十夜法要を創始した光明寺9世・観誉祐崇上人が創建した龍泉寺(創建当時は柚の木にあった)が前身。宝台院龍泉寺は、徳川秀忠が改めた寺名です。

徳川秀忠を生んだ西郷局の菩提寺で、徳川家ゆかりの名刹

徳川家康の側室お愛の方(西郷局)が、天正17年5月19日(1589年7月1日)、駿府城で38歳という若さで逝去すると遺骸が龍泉寺に葬られ、江戸に幕府を開いた徳川家康は慶長9年(1604年)、龍泉寺を柚の木から紺屋町に移し、朱印30石と自画像、父・松平広忠(まつだいらひろただ)から譲られた太刀を寄進し、17回忌の法要を営んでいます。

徳川家康が駿府で亡くなった際には葬儀の副導師を龍泉寺6世・典育上人が務めるという徳川家康ゆかりの名刹。
寛永5年(1628年)、徳川秀忠は、大伽藍を建て、大法要を営んでいます。
西郷局へ従一位の追贈があり、「宝台院殿一品大夫人」と戒名が改められ、寺名も金米山宝台院龍泉寺となっています。

当時、宝台院は、江戸増上寺と並ぶ徳川家の菩提寺で、宝台院の住職は紫の衣を着ることが許されていました。
徳川最後の将軍となる徳川慶喜も謹慎の際、慶応4年(1868年)、銚子から旧幕府軍艦「蟠竜丸」に乗って清水に上陸し、宝台院に入り、明治2年に謹慎が解かれるまで宝台院で暮らしています。

残念ながら往時の国宝建造物群は、昭和15年の静岡大火で焼失、現在の本堂は鉄筋3階建てになっています。
家康の守り本尊だった阿弥陀如来立像は国の重要文化財。
若き日の家康自画像、家康が父・広忠から譲られた太刀という家康寄進の品も現存しています。
西郷局(お愛の方)之墓は静岡市の重要文化財。

ちなみに西郷局は、遠江国・上西郷(現在の掛川市)の戸塚忠春(とつかただはる)の娘。
家康家臣の西郷義勝(三河国の東端・東三河八名郡の出)の継室となるが、義勝が竹広合戦で命を落とすと、17歳という若さと美貌から天正6年(1578年)、西川城主・西郷清員(酒井忠次の妹婿)の養女として浜松城の上がり、徳川家康の奥勤めの侍女に。
翌天正7年(1579年)、長丸(秀忠)が誕生。

昭和58年のNHK大河ドラマ『徳川家康』(徳川家康:滝田栄)では、西郷局を竹下景子が、令和5年のNHK大河ドラマ『どうする家康』(徳川家康:松本潤)では、広瀬アリスが演じています。

ちなみに徳川家康の正室は築山殿(清池院)で、継室が豊臣秀吉の妹・朝日姫(南明院)。
側室は20名を数えます。

宝台院
名称 宝台院/ほうだいいん
所在地 静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2
関連HP 宝台院公式ホームページ
電車・バスで JR静岡駅から徒歩8分
ドライブで 東名高速道路静岡ICから約3.5km
駐車場 参拝者専用駐車場(無料)を利用
問い合わせ 宝台院 TEL:054-252-1090/FAX:054-273-2080
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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