こうち旅広場・土佐三志士像

こうち旅広場・土佐三志士像

高知の玄関口、JR高知駅。とさでん交通(路面電車)高知駅前停留場やバスターミナルのある南口には、こうち旅広場があり、平成22年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』のセットを移築した「龍馬伝」幕末志士社中、高知観光情報発信館「とさてらす」があるほか、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の土佐三志士像が出迎えてくれます。

明治維新の立役者、土佐三志士

左から武市半平太(たけちはんぺいた=武市瑞山)、坂本龍馬、中岡慎太郎と並ぶ、土佐三志士。

もっとも左に立つ武市半平太は、土佐勤王党の盟主で、土佐藩の参政・吉田東洋(よしだとうよう)の暗殺を指示し、土佐藩を尊皇攘夷へと転換させています。
三条実美(さんじょうさねとみ)を中心とする急進的な尊王攘夷派公家と長州藩を排斥した八月十八日の政変(尊王攘夷派公家は長州へと「七卿落ち」)で、土佐藩では前藩主・山内容堂によって投獄され、切腹。

中心に立つ坂本龍馬は、武市半平太とは遠縁にあたり、当初は政治的な行動はありませんが、尊皇攘夷に目覚め、脱藩して貿易商社と政治結社を兼ね備えた亀山社中(のちの海援隊)を結成。
中岡慎太郎とともに薩長同盟の成立に尽力しますが、京の近江屋事件で、佐幕派・京都見廻組に暗殺されています。
ただし、坂本龍馬が世に出て有名になるのは明治中期以降のこと。

もっとも右に立つ中岡慎太郎は、陸援隊隊長で、薩摩藩の島津久光暗殺を画策(実現していません)、武力倒幕に傾倒し、薩長同盟を実現。
坂本龍馬とともに京の近江屋事件で、佐幕派・京都見廻組に暗殺されています。

勤王の志士とは!?

志士(しし)とは、『論語』衛霊公の「志士仁人(ししじんじん=志のある人や徳のある人)は、生を求めて以て仁を害するなし」(志のある人、徳のある人は、自分が生きるために、人の道に背くようなことはしない)が語源であり、天下国家のために正しいと信じたことを、命をかけて貫く人を指す言葉。
王政復古を掲げ、外国を排斥するという思想で、倒幕を成し遂げたため、明治維新後、新撰組など佐幕派(幕府政策を擁護する勢力)に討たれた人を、尊王志士、勤皇の志士として崇めるようになったもの。

攘夷(外国の排斥)という理念は、開国によって打ち砕かれ、王政復古という名目も、維新後に貴族階級を生み出し、天皇中心の「神国」形成という復古的な側面も有していました。
列強に立ち向かう富国強兵政策を背景に、中央集権国家の成立の過程では、天皇に忠誠を尽くしたという側面のみが強調された「勤王の志士」像も描かれています。

坂本龍馬をはじめ、多くの志士は、各藩の下級武士。
そんな藩政時代には埋もれていた多くの下級武士たちが歴史の激動の中、京の都を中心に、歴史の表舞台で活躍したことになります。
王政復古後の慶応4年5月10日(1868年6月29日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たちを祀る社を創建せよとの詔が発せられ、志士たち(1356人)は京都霊山護国神社の霊山墓地(りょうぜんぼち)に眠っています。

こうち旅広場・土佐三志士像
名称 こうち旅広場・土佐三志士像/こうちたびひろば・とささんししぞう
所在地 高知県高知市北本町2−10−17
電車・バスで JR高知駅からすぐ
ドライブで 高知自動車道高知ICから約4km
駐車場 こうち旅広場駐車場(33台/15分まで無料、以降有料)
問い合わせ 高知観光情報発信館とさてらす TEL:088-879-6400
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
とさでん交通・高知駅前停留場

とさでん交通・高知駅前停留場

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