古坊中遺跡

古坊中遺跡

熊本県阿蘇市、阿蘇パノラマライン途中、中岳火口の西山腹一帯の遺跡が古坊中遺跡(ふるぼうちゅういせき)。天台宗・最栄読師が中岳火口の西の巌殿に十一面観音菩薩像を安置したことが阿蘇山の開山と伝わり、中世に37坊51庵もの寺院群が建ち並んだと伝えられている遺跡。現在では道脇に残る石塔などに往時を偲ぶのみです。

中世、阿蘇山上は山岳仏教の一大霊場だった!

古代、噴火を鎮護するため、大がかりな読経、祈祷などが行なわれたのに始まり、阿蘇山上は14世紀~16世紀にかけて37坊51庵もの寺院群が建ち並ぶ山岳仏教の一大霊場として繁栄したのです。
記録に残る阿蘇山の仏教的な行事は、延暦13年(794年)に遡ります(菅原道真編纂の『類聚国史』による)。
当時は、山頂の火口湖を神霊池とし、火口全体が神域と見なされていました。

戦国時代に島津・大友氏の争乱に巻き込まれ、島津氏らの侵攻を受け荒廃、天正15年(1587年)には長善坊を除いて僧侶や山伏たちも山を下りて四散しています。

肥後を領有する加藤清正は、関ヶ原合戦の直前、慶長5年(1600年)頃、離散した37の阿蘇坊中を山麓の黒川(現在のJR阿蘇駅周辺)に再興しています。
これを麓坊中(ふもとぼうちゅう)あるいは新坊中と称し、中岳火口近くの坊庵跡を古坊中と称するようになったのです。
加藤清正は、旧来の古坊中にも本堂および諸堂舎も再建しています。
麓坊中と古坊中を結ぶ15町の道が、阿蘇登拝道として機能していました。

古坊中にあった37坊が廃絶されるのは、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈によって。
麓坊中の関係者は、山上に天台宗・西厳殿寺(さいがんでんじ)を再興、現在に至っています(黒川にも学頭坊跡に西厳殿寺があります)。
昭和42年、阿蘇町営スキー場が杵島岳の南斜面に築かれた際、その建設と駐車場の整備によって、古坊中の遺構は消え去っています。

本来は、神仏習合だった阿蘇山の信仰は、この西厳殿寺と阿蘇神社(明治初年の神仏分離以前は神仏習合で、神宮寺は天台宗の青龍寺)に分かれて引き継がれているのです。

中岳の西側1~2km付近に広がる平坦地、古坊中遺跡一帯は、火山活動と山岳宗教の結びつきを今に伝える場所として阿蘇ユネスコジオパークの古坊中ジオサイトにもなっています。

古坊中遺跡
名称 古坊中遺跡/ふるぼうちゅういせき
所在地 熊本県阿蘇市黒川
関連HP 阿蘇市公式ホームページ
ドライブで 九州自動車道熊本ICから約39km
駐車場 2台/無料
問い合わせ 阿蘇市教育委員会 TEL:0967-22-3229
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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