熊本県菊池市に鎮座し、建武中興で活躍、南北朝時代に南朝方についた菊池氏を祀る菊池神社。明治3年に菊池城本丸跡に創建されたもの。主祭神は第12代菊池武時(きくちたけとき)、第13代・菊池武重、第15代・菊池武光。菊池神社歴史館には、菊池一族ゆかりの宝物が収蔵展示されています。
建武中興十五社のひとつで菊池一族を祀る
菊池氏は大宰府天満宮領赤星荘の荘官として、肥後国菊池に定住。
12代・菊池武時は、天皇の綸旨を受けて九州探題を攻撃するが、全員討ち死に。
忠臣として名を馳せたのです。
明治維新で、王政復古が実現すると、明治天皇は、建武中興(けんむのちゅうこう=建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを顕彰するため、全国に15の神社を創建しています。
それが建武中興十五社で、九州では懐良親王を祀る八代宮(熊本県八代市)と、菊池神社が創建されています。
菊池神社の建つ地は、菊池氏の本拠だった菊池城の城跡で、境内には菊池武時騎馬像が立っています。
境内に菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏の歴史を紹介しています。
神社収蔵の『絹本著色伝菊池能運像』は、国の重要文化財。
建武中興と明治維新の関係とは!?
建武中興は、鎌倉幕府の滅亡後、武家中心の政治を天皇中心の政治体制(模範は平安時代中期の延喜・天暦の治)に戻そうとしたもので日本における初の王政復古。
明治維新はブルジョア革命的な側面を有しながらも、神武天皇信仰を蘇生させる神武復古(「諸事神武創業之始」)をかかげた復古革命でもあり、「万世一系」の皇統神話をもとに、国民統合を図ったのです(そのために仏教の支配下にあった神道を独立させる神仏分離、そして仏教を弾圧する廃仏毀釈も行なっています)。
明治新政府は、ヨーロッパを範とする近代化と、復古主義的な神武天皇信仰を蘇生という二面性をもちながら、中央集権国家としての諸制度を整備していくのですが、その一環として建武中興十五社が創建されているのです。
菊池神社 | |
名称 | 菊池神社/きくちじんじゃ |
所在地 | 熊本県菊池市隈府1257 |
ドライブで | 九州自動車道植木ICから約13km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 菊池神社 TEL:0968-25-2549/FAX:0968-25-2539 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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