熊本県宇土市宮庄町にある環境省の名水百選に選定される湧水が、轟水源(とどろきすいげん)。1日3000tもの湧出量を誇り、一帯は轟泉自然公園として整備されています。周辺には熊本藩の支藩・宇土藩12代藩主・細川則立の隠居所「轟御殿」跡、轟泉資料館、歴代藩主の墓などがあります。
轟泉水道は現存する日本最古の水道
江戸時代には熊本藩の支藩・宇土藩の細川行孝(ほそかわゆきたか)は、城下町に轟水源から大型は長さ43cm、内径16.5cmなどの松橋焼(現在の宇城市松橋町の瓦工場が担当)の土管を繋いで4.65kmにも及ぶ轟泉水道を引いています。
土管は漆喰(しっくい)で接合し、漏水防止のためシュロの皮が巻がれていました。
5代藩主・細川興文(ほそかわおきのり)の時代、明和6年~明和8年(1769~1771年)頃、土管を網津産の馬門石(阿蘇溶結凝灰岩)製の樋管に付け替えています。
城下町の武家屋敷には1戸毎に水を蓄えるための井戸が設けられ(井戸の大きさも身分によって違っていました)、町内には共同の井戸13ヶ所が設置され、最終地点は船場町の共同井戸で、余水はここから船場川へと排水されていました。
現在でも100戸ほどの人々が生活用水として利用し、現存する最古の水道となっていて、轟泉資料館では轟泉水道の資料が展示解説されています。
「轟御殿」は、宇土細川藩の菩提寺、三車山泰雲寺(細川立孝の供養のために建てられた寺で、寺号も立孝の法名・泰雲院に由来)の一角に造られた12代藩主・細川立則の隠居場で、すぐ横は歴代藩主の墓地ですが、残念ながら泰雲寺は明治初年の廃仏毀釈で廃寺となり、轟御殿も破却され、その跡地に神道の原泉社を建て、細川氏歴代の霊を祀っています。
ちなみに、細川立孝の子孫が宇土藩から熊本藩に入って本家を継いだため、日本新党代表時代に第79代内閣総理大臣に任命された細川護熙(ほそかわもりひろ)元首相も、その末裔ということに。
名水の多い熊本県で、環境省の名水百選に選定されるのは、宇土市の轟水源のほか、菊池水源(菊池渓谷/菊池市)、白川水源(南阿蘇村)、池山水源(産山村)の合計4ヶ所です。
轟水源(轟泉自然公園) | |
名称 | 轟水源(轟泉自然公園)/とどろきすいげん(ごうせんしぜんこうえん) |
所在地 | 熊本県宇土市宮庄町 |
関連HP | 宇土市公式ホームページ |
電車・バスで | JR宇土駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 九州自動車道松橋ICから約10km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 宇土市商工観光課 TEL:0964-22-1111/FAX:0964-22-6100 |
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