京都中京区壬生の壬生寺(みぶでら)の北に位置する旧家で、村の行司役も務めた八木家の旧宅が新選組壬生屯所旧跡八木家。八木家は、天正年間に始まるという壬生村(当時)の旧家。壬生浪士組と称した佐幕派浪士隊は、幕末に上洛し、京都で初めて屯所(とんしょ)として利用した場所がここ。つまりは新選組発祥の地。
新選組の発祥の地で、隊員が滞在した幕末の歴史舞台
当初メンバーの浪士組13人(芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、藤堂平助、野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八)の宿舎となったのが八木家。
文久3年(1863年)3月13日、八木家に会津藩公用方から浪士隊を「会津藩御預り」にする連絡が入ったことから、これを機会に壬生浪士組と名乗ることになります。
3月16日には八木家右門柱に、「松平肥後守御領新選組宿」という表札が掲げられ新選組の誕生となったのです。
松平肥後守は、会津藩の第9代藩主・松平容保(まつだいらかたもり)で、当時は京都守護職を務めていました(会津藩は金戒光明寺に駐屯)。
攘夷派浪士が横行する京の巷の警備のため、芹澤鴨、近藤勇らの要請を受け入れて「会津藩御預り」としたもの。
とはいえ、浪士の集まりは、統制のとれない武士集団。
しかも海外情勢をも学んでいた攘夷派に比べ無学の下級武士が多かったのも事実です。
新選組局長芹沢鴨が花街・島原の揚屋「角屋」でおこした乱暴狼藉事件(「角屋での暴挙」)などのように島原に通うなどの風紀の乱れや、内部の闘争(粛正)で多くの隊士を失っています。
抹茶と自慢の「屯所餅」付きで八木家を見学
現存する八木家の長屋門と母屋は江戸時代のもの。
奥座敷は新選組三大内部抗争の一つ芹澤鴨暗殺の場でもあり、奥座敷の鴨居には、初代局長ながらも近藤勇一派に粛正された芹澤鴨ら、新選組隊士4人が暗殺された刀痕が今も残ります。
見学にはガイド付きで、さらに抹茶と和菓子(屯所餅)がセットですが、名物の屯所餅は八木家が営む菓子舗「京都鶴屋 鶴壽庵」で製造。
八木家の入口に店を構えているので、土産にも最適です。
八木邸の斜め前には八木邸が手狭になったために屯所となった前川邸もありますが、こちらは非公開。
ちなみに壬生は湧水の地でもあり、新選組の藍で染めた水色の旗印は、壬生の色でもあるのです。
新選組壬生屯所旧跡八木家 3つのチェックポイント
新選組発祥の地、壬生屯所
奥座敷は角屋で狼藉を働いた芹澤鴨暗殺の場
見学には抹茶と京都鶴屋の和菓子が付く
新選組壬生屯所旧跡八木家 | |
名称 | 新選組壬生屯所旧跡八木家/しんせんぐみみぶちゅうとんしょあとやぎけ |
所在地 | 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24 |
関連HP | 八木家公式ホームページ |
電車・バスで | 阪急京都線大宮駅・京福嵐山本線四条大宮駅から徒歩10分、JR丹波口駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約6km |
駐車場 | 1台/見学者は無料 |
問い合わせ | 新選組壬生屯所旧跡八木家 TEL:075-841-0751 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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