舞鶴引揚記念館

舞鶴引揚記念館

昭和20年、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを舞鶴港の岸壁で待つ母親をマスコミが取り上げて、「岸壁の母」と呼ぶように。舞台となった京都府舞鶴市の引き揚げ桟橋近くに建つのが舞鶴引揚記念館です。平成30年にリニューアルし、「抑留生活体験室」なども加わっています。

66万人が大陸から引き揚げた歴史を知る

昭和20年9月16日に朝鮮人の釜山への送還第1船「雲仙丸」が舞鶴を出航、折り返し10月7日に引揚第1船「雲仙丸」が舞鶴港に入港。
10月10日に舞鶴海軍復員収容部(後に山陰上陸地支局、京都府舞鶴出張所と合わせて舞鶴地方引揚援護局となる)が東地区の舞鶴海兵団内に設置され、以来13年間にわたり、66万有余人の引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れた舞鶴港です。
これを偲び昭和63年に舞鶴港を見下ろす高台に建てられた記念館。

館内には、日ソ中立条約を一方的に破ったソ連軍により満州で拿捕され、シベリアに抑留された人々が使っていた軍服や引揚船の模型などを展示しています。
収蔵資料のうち抑留中の日々の様子などが記された日記、収容所内で発行された新聞、ハバロフスク第2収容所で撮影された写真など570点がユネスコ世界記憶遺産(シベリア抑留や引き揚げに関する資料=「シベリア抑留体験の記録」、「安否を気遣い帰還を願う日本の家族に関する資料」、「引揚関連資料」)に登録されています。

様々な資料を展示することで、舞鶴がかかわってきた引揚げという悲しい歴史を現代に伝え、「平和の尊さ・平和への祈り」を発信しています。
また、記念館裏手には、平和像のモニュメントや『岸壁の母』の歌碑が立つ引揚記念公園があり、平(たいら)引揚浅橋も復元されています。

『岸壁の母』と舞鶴

昭和29年9月、菊池章子の歌う『岸壁の母』(テイチクレコード)が100万枚以上の売上という大ヒットとなり(昭和46年に二葉百合子がカバー)、昭和51年には中村玉緒主演で映画化されています。
実は、この『岸壁の母』には、端野いせという実在のモデルが存在。
息子(養子)・新二を待ち続け、舞鶴港には昭和25年1月の引揚船初入港から6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ端野いせの姿がありました。
端野新二は、昭和29年9月、厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行していますが、実は新二は、母・いせの没後の平成12年、中国で生存していたらしいことが判明しています(抑留後、中国共産党八路軍に従軍、その後、レントゲン技師助手として上海に居住)。
端野いせは、『未帰還兵の母』、『岸壁の母』(ともに新人物往来社)を刊行しています。

名称 舞鶴引揚記念館/まいづるひきあげきねんかん
所在地 京都府舞鶴市平1584引揚記念公園内
関連HP 舞鶴引揚記念館公式ホームページ
電車・バスで JR東舞鶴駅からタクシーで20分、またはJR東舞鶴駅から京都交通バス田井・野原線、三浜線で15分、引揚記念館下車
ドライブで 舞鶴若狭自動車道舞鶴東ICから約8km
駐車場 50台/無料
問い合わせ TEL:0773-68-0836/FAX:0773-68-0370
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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