赤れんが博物館

赤れんが博物館

明治34年、舞鶴には帝国海軍の舞鶴鎮守府(まいづるちんじゅふ)が置かれますが、明治36年築の兵器廠魚形水雷庫を再生した舞鶴赤レンガ倉庫群の1号棟が赤れんが博物館。1階にはレンガを焼成したホフマン窯を展示し、日本のレンガの歩みや、日本有数の赤れんがの町・舞鶴とレンガの関係などを紹介しています。

現存最古級の鉄骨造赤レンガ建築

赤れんが博物館

「舞鶴旧鎮守府倉庫施設舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫」という厳めしい名前が付けられたレンガ建築を再生していますが、簡単にいえば魚雷の格納庫。
鉄骨構造で(現存する鉄骨構造の煉瓦建築物としては日本最古級)、レンガもフランス積みになっています。

館内では1階にホフマン窯コーナーと「世界のれんが」、2階に「日本のれんがのあゆみ」、「舞鶴市とれんが」、「耐火れんがコーナー」、「歴史を証言するれんが」を常設展示。
1階のミュージアムショップでは、オリジナルグッズや、海軍カレーなどを販売しています。

建物は国の重要文化財(文化庁の近代化遺産認定)、経済産業省の近代化産業遺産にも認定されています。
さらに日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成資産にもなっています。

海戦で重要視された魚雷を格納

実戦的な魚雷は日本では幕末にあたる1866年にオーストリア海軍が開発。
明治20年代には10ヶ国以上に輸出していました。
日清戦争(明治27年〜明治28年)の時代、戦艦は魚雷を回避するだけのスピードがなく、海戦において非常に重要な地位を占めていたのです。
この魚形水雷庫には、日露戦争後の明治44年に国産の四四式魚雷が誕生するまで外国製の魚雷を使用し、格納していました。
日露戦争緒戦の仁川沖海戦で日本の水雷艇は魚雷を発射していますが、命中していません。

赤れんが博物館
名称 赤れんが博物館/あかれんがはくぶつかん
所在地 京都府舞鶴市浜2011
関連HP 舞鶴赤れんがパーク公式ホームページ
電車・バスで JR東舞鶴駅から京都交通バス長浜線・和田線・ユニバーサル造船線・合同庁舎線・文庫山線で4分、市役所前下車、徒歩3分
ドライブで 舞鶴若狭自動車道舞鶴東ICから約4km
駐車場 23台/無料
問い合わせ 赤れんが博物館 TEL:0773-66-1095
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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