京都市東山区祇園町にある古社が八坂神社。社伝によれば、平安遷都以前の斉明天皇2年(656年)創建と伝えられ、「祇園さん」の通称でお馴染みの全国の2300ある祇園社(八坂神社・天王神社)の総社です。遷都以前に渡来人である八坂造(やさかのみやつこ)一族が住んでいた土地と伝えられています。
神仏分離以前は祇園感神院
「祇園さん」と呼ばれるのは明治維新の神仏分離まで、牛頭天王(ごずてんのう=神仏習合の神)が釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされることから祇園感神院(感神院は神社を管理する別当寺)と名乗っていたから。
神仏習合時代には境内全域が寺院(天台宗・比叡山延暦寺に属する感神院)であり神社 (祇園社)だったのです。
牛頭天王は、平安時代から行疫神として知られていましたが、菅原道真の祟りなどを恐れる御霊信仰(ごりょうしんこう)の影響から当初は御霊を鎮めるために祭られ、やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになりました。
これが『祇園祭』(明治時代まで『祇園御霊会』と呼ばれていました)のルーツです。
祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫尊(くしなだひめのみこと)、八柱御子神 (やはしらのみこがみ) 。
神仏分離以前は牛頭天王(本地仏は薬師如来)、牛頭天王の8人の王子である八王子、牛頭天王の后・頗梨采女 (はりさいにょ)が祀られていました。
厄除け・疫病退散・商売繁盛のご利益を授かる神社として信仰を集めています。
現存する本殿は承応3年(1654年)、4代将軍・徳川家綱の寄進によるもの。
祇園造りと称する特殊な建築法で国の重要文化財に指定されています。
後白河法皇に仕えた平清盛の父・平忠盛にまつわる「忠盛燈籠」が本殿の横にあり、清盛の母と伝えられる祇園女御が住んでいた場所ともいわれ、清盛ゆかりの地にもなっています。
四条通りの突き当たりに建つ、明応6年(1497年)築の楼門も国の重要文化財。
本殿南側の石鳥居、末社蛭子社社殿も国の重要文化財です。
『祇園祭』と『をけら詣』
毎年7月1日~31日にかけて京都の夏の風物詩として『祇園祭』が行なわれるますが、貞観11年(869年)の疫病流行の際、感神院祇園社(現・八坂神社)に悪霊退散を祈願したのが始まり。
ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)のような強い神様に頼り、怨霊を退散させようとしたわけです。
神泉苑に矛66本を立て、感神院祇園社から神輿を送ったことが『祇園社本縁録』に記されています。
正月元旦5:00〜の『白朮祭』(おけらまつり)は病気、災難を除き幸福を祈る京の正月を代表する風物詩。
古式にのっとって 火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりきね)で鑽(き)り出された御神火は、境内に吊された白朮(をけら)灯籠に灯され、参拝者の願意が記された「おけら木」が焚かれます。
この火を火縄に移し、消えないようにくるくる回しながら家に持ち帰るのが「をけら詣」。
持ち帰った白朮火で灯明をつけ雑煮を炊いて新年を祝うという仕組み。
ちなみに初詣も京都では伏見稲荷大社に次ぐ人出を集めています。
八坂神社 | |
名称 | 八坂神社/やさかじんじゃ |
所在地 | 京都府京都市東山区祇園町北側625 |
関連HP | 八坂神社公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪本線四条駅から徒歩7分、阪急京都線河原町駅から徒歩10分で西楼門 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約6.7km |
駐車場 | 常磐新殿駐車場(50台/有料、祈祷者は無料) |
問い合わせ | 八坂神社 TEL:075-561-6155/FAX:075−531−1126 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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