粟田神社

粟田神社

平安初期に厄除け、旅行安全の神として建立された古社が、京都市東山区粟田口に鎮座する粟田神社(あわたじんじゃ)。石段下の道は旧東海道・東山道にあたり、一帯は「京の七口」のひとつ粟田口にあたります。源義経は奥州に向かう際に、旅の安全と源氏再興を恵美須社(出生恵美須神社)に祈願したと伝えられています。

京の七口のひとつ粟田口に鎮座する古社

粟田神社
粟田神社

神仏習合時代には感神院新宮(かんじんいんしんぐう)、粟田天王宮と称していましたが、明治初年の神仏分離以降、粟田神社となりました。

感神院とは、神仏混淆時代の祇園感神院(現在の八坂神社)のこと。
貞観18年(876年)、藤原興世が天皇の勅使として感神院祇園社で、7日7晩7祈願したところ、満願の夜に、「祇園の東北に清き処に我を祀れ」という大己貴神の信託を受けたため、この地に感神院の新宮を創建したのが始まりです。

祭神は八坂神社と同じ素盞鳴尊(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)です。

京の七口に鎮座することから、古くから旅立ち守護の神として崇敬を集め、「旅行守護」のお守りも授与してくれます。

現存する本殿などは文政6年(1823年)の再建。
10月には『粟田祭(粟田神社大祭)』が齋行されています。
1月9日〜11日の『出世えびす祭』も有名。

境内には刃物、鍛冶及び勝運、開運の社といわれる鍛冶神社がありますが、祭神は刀工・三条宗近(さんじょうむねちか=平安時代の刀工)と粟田口吉光(あわたぐちよしみつ=鎌倉時代中期の刀鍛冶)。
三条から粟田口にかけては、中世に三条派、粟田口派と呼ばれる名工を輩出する刀鍛冶の町でした。

祇園祭の長刀鉾(なぎなたほこ)の象徴として鉾の頂きに飾られる長刀も、三条宗近が奉納しています。

粟田神社
京の七口
平安京時代には京の七口という言葉はなく、鎌倉時代に鎌倉七口が生まれた頃、京の七口という呼び方が誕生したと推測できます。
室町時代には関所が設けられ関銭を徴収するようになり、さらに豊臣秀吉が京改造の一環として、京の周囲を囲む総構え(そうがまえ)である御土居を築いたことにより、京の出入口を土塁に開いた「口」となったことから「七口」という呼称が一般化しました。
粟田口のほか、鞍馬口(鞍馬街道)、大原口(若狭街道)、荒神口(近江へ通じる山中越)、伏見口(伏見街道)、竹田口(竹田街道)、東寺口(鳥羽街道)、丹波口(山陰道)、長坂口(若狭に通じる長坂越)と多数の「口」があり、その数や場所は時代によって変化して、鎌倉七口のように定まっていません。
粟田神社
名称 粟田神社/あわたじんじゃ
所在地 京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1
関連HP 粟田神社公式ホームページ
電車・バスで 京都市営地下鉄東西線東山駅・蹴上駅から徒歩7分
ドライブで 名神高速京都東ICから約5.8km
駐車場 3台/無料
問い合わせ 粟田神社 TEL:075-551-3154
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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