柳生街道・寝仏

柳生街道・寝仏

奈良県奈良市、奈良と柳生を結ぶ柳生街道(滝坂の道)途中にある岩に刻まれた磨崖仏が柳生街道・寝仏。智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界大日如来坐像(像高48cm)部分が街道脇に転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがその名の由来です。

刻まれるのは密教の本尊・大日如来

柳生街道(滝坂の道)沿いには、鎌倉時代〜南北朝時代に南都(奈良)一帯での弥勒信仰の隆盛を背景に刻まれた朝日観音、夕日観音がありますが、寝仏(密教の本尊・大日如来)は、室町時代前期のものと推定されています。
寝仏は、胸の前で、左手は拳(こぶし)を握り、人さし指だけ立て、その人さし指を右手で握る智拳印を結び、下側に宇宙を構成する「空・風・火・水・地」の五元素を意味する「キャ・カ・ラ・バ・ア」が刻まれています。

密教の普及を背景に、室町時代には、修験道(日本古来の山岳信仰と密教・道教=神仙思想が習合した神仏習合思想で、神々は仏の化身というのが教え)の開祖・役小角(えんのおづぬ )は、大日如来の変化で、不動明王の分身と考えられるようになり、それまでの蔵王権現への信仰が廃れていきます。
世界遺産となった富士山信仰も、室町時代以降に、修験道によりそれまで浅間大神(あさまだいじん)であった富士山を大日如来とした信仰。

こうした室町時代の信仰を背景に、それまで柳生街道沿いに刻まれた弥勒菩薩(朝日観音、夕日観音)ではなく、大日如来が刻まれていることにも注目を。
つまり、朝日観音、夕日観音よりも時代が下っていることがわかるのです。

柳生街道・寝仏
名称 柳生街道・寝仏/やぎゅうかいどう・ねぼとけ
所在地 奈良県奈良市百毫寺町
電車・バスで JR・近鉄奈良駅から奈良交通市内循環、山村町行きなどのバスで、砕石町下車、徒歩40分
ドライブで 京奈和自動車道木津ICから約7km。西名阪自動車道天理ICから約10kmで春日大社駐車場
駐車場 春日大社駐車場(100台/有料)などを利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旧柳生街道・朝日観音

柳生街道・朝日観音

奈良県奈良市、柳生街道(滝坂の道)、能登川の渓流の巨岩に刻まれた三尊仏が柳生街道・朝日観音。文永2年(1625年)の銘があり、朝日観音と呼ばれてはいますが、観音菩薩ではなく、中央が弥勒菩薩(みろくぼさつ)で左右に地蔵菩薩を配した菩薩像。朝の

柳生街道・夕日観音

柳生街道・夕日観音

奈良県奈良市、江戸時代に奈良奉行によって敷かれた石畳の柳生街道(滝坂の道)沿いにあるのが柳生街道・夕日観音。街道から少し斜面を登った場所にある巨岩に刻まれた弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)。鎌倉時代の作といわれ、夕日を受ける方向に向かって彫ら

柳生街道(滝坂の道)

柳生街道(滝坂の道)

奈良県奈良市、奈良から春日山(かすがやま)を越え、柳生(やぎゅう)を結ぶ旧道が柳生街道(滝坂の道)。世界遺産にも指定された春日山原始林の鬱蒼とした巨木が茂るなかを石畳の道が続いています。現在残された2.5kmにわたる石畳は江戸時代に奈良奉行

柳生街道・首切り地蔵

柳生街道・首切り地蔵

奈良県奈良市、奈良から春日山(かすがやま)を越え、柳生(やぎゅう)を結ぶ旧道が柳生街道(滝坂の道)。その滝坂の道の柳生側、藩政時代に整備された2.5kmの石畳のとぎれた三叉路にあるのが首切り地蔵。荒木又右衛門(あらきまたえもん)に試し斬りさ

柳生疱瘡地蔵

柳生疱瘡地蔵

奈良県奈良市柳生町、柳生と奈良を結ぶ柳生街道の柳生側入口近くに、大きな花崗岩に浮彫りされた地像菩薩像が立っていますがこれが柳生疱瘡地蔵(やぎゅうほうそうじぞう)。元応元年(1319年)11月の銘があることから、鎌倉時代に造立された地蔵尊であ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ